2025-03-27 今日の断片
夕方に差し掛かろうというのにまだ明るい、というただそのことがどんなに気持ちを明るくするかを実感している。この緯度ですらそう思うのだから、アイスランドの春はどんなだろう。
あるやりとりをきっかけに、子どもの頃に自分は残酷になれる瞬間をもっていると知っていたことを思い出す。
二面性は誰にでもあると知ったのは大人になってずいぶん経ってからだった。
誰だって心の中まで潔白でいられないのだから、その暗さを恐れて隠さなければと必死になった幼いわたしはずいぶん単純だったなとおかしくなる、でも同時に、隠したかったのは本能的にこの炎の熱を知っていたからなんだな、とも思う。
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明日は撮影なので衣装を調整して縫い、準備。自分で衣装を用意する現場はいつも困る。服持ちじゃないから。
地元の警察(移民局)に呼び出されている日でもある書類も準備。撮影が長引いたとしても絶対に遅刻はできない。
映画のタイトルを日本語に翻訳してくれと頼まれている。私はこの映画のほんのワンシーンにボランティアで出演するだけだしまだそのシーンすらどんなものになるのか知らない(全体像だってもちろん全く知らない)。それなのに「訳はまだか。そんなに難しくないはず」とせっついてくる。相手はフランス語から英語にするくらいのイメージで頼んでいる、またはそれっぽい雰囲気が欲しいだけで気軽に頼んできているのだけど、私は翻訳がそんな雑な仕事でいいわけないと思っているので断るつもり。おかしな翻訳になって笑われるのは私(と私に頼んだ彼)だからまあ良いとしても、翻訳という仕事を甘く見ていることに物申したいから。
それに彼はもし日本語が少しくらいおかしくても構わないと思っている。彼にとって日本は遠い国であり、自分の理想の異国情緒を添えてくれるだけで充分なのだろう。これまでのやりとりでそれを痛いほど感じている。
仕事のことはあまり書かないことにしているんだけど(ましてネガティブなことは)、ここにはひっそり、記録として残す。
他にもちょっと度を越しているなと感じることがあって、その人に関わった多くの若いアーティストが搾取されてるんじゃないかなあという気がしている。
『ほとんど記憶のない女』は短編集なので、長編も読みたくて同時に読み始めた。
事前に予習をしないで読み始めたが、なんだなんだ?どういう小説なんだろう?とわくわくしつつ、今日は少しだけ読もうと思ったのに手が止まらぬまま一章を読み切ってしまった。まだまだ続きがあって嬉しい。
…でも『ほとんど記憶のない女』は本当に短編集なのかな?とちょっと疑っている。ひとつづきのはなしではないのか。