2025-03-19 今日のメモ、ほんとうにメモ
夕焼けの名残のある、緑のような紺のような空を見ながら、3週間前のこの時間には凍るような暗さの中出かけたのを思い出す。夏時間開始まで2週間。そうしたらこの明るさで夜9時ということになるのか。
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ここに書くことすら書いたり消したり、読まれることを前提にしているからかうまいことを書こうとかわかりやすく書こうとか、推敲しては最初にあったニュアンスが消えてしまってただ理屈っぽくなったり、なんだかもったりとしてつまんない。何をかっこつけようとしているのか分かんない。
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昨日は友だちのライブに行ったのだけれど、そのライブアウスが実験的音楽?のようなものを好む人が集まる場所だったらしくて、対バンしていた人の出す音が思わず防御姿勢を取ってしまったくらいに大きくて正直いえば苦痛だった。そんなに広くない場所だからあまり目立たないように…と配慮しつつも耳をぎゅっと塞いで、でもばしばし音がぶつかってくるので前にいる人の影に隠れて(音が小さくなるかなと思って、それに耳を塞いでいるところを演者に見られないように)呼吸を整えていた。
音圧が下がった隙を見て体勢を整えてみると、さすがこういう音楽に慣れている人たち、一切動揺も見られず、ひとの鼓膜の強さはそんなに違うもんかねと思う。
耳も痛いけれど心臓にも肺にも音が響いてきてばくばく、呼吸も乱される。
きっとこれが心地良いひともいるのだろうけど、私は頬を叩かているように目も開けてられない。音が刺さらないようになるべく小さく丸まってやりすごし、そんなこんなでへとへとになってしまったのでもう耳がいっぱい(お腹いっぱい、の感じで)、最後のグループを聴かずに帰った。
時々コンサートとかライブに誘ってもらうことがあるんだけど、私は長い時間音楽を聴いていることができない。この音は大丈夫、というものが稀にあるんだけど(分野の問題でなくおそらく音質の問題)、そういうものはほんとうに稀なので、だいたいはごめんねだけど行けない、ということになる。
雷ならどんな大きくても大丈夫なんだけどな。
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パレスチナのことを語る章もあるこの本の中に、東北の震災から11年経って改めて語られることが同時に含まれていることになんとも言えない気持ちになった。10年経って初めて話せること、15年経って初めて話せること、そして多分20年経っても話せないことがあって、もしかしたらこんな風に、数年後に、その時にあった出来事と、20年前、30年前の震災のことが並べて語られることがあるのだろう。
今日もTwitterを見るのがつらい。