📖『雨滴は続く』西村賢太 (文春文庫)
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続いてこちらも。
精神の小窓から見る世界というのはこれほど人によって偏りがあるのか…と時に戦慄し、時に苦笑い、時においおい気を確かに持て、と言いたくなる。幼少期に染み付けられてしまったルサンチマンや他人、特に女性に対するメタ視点の欠如に満ちた人物だけれど、それが純粋さゆえのものだと思えば複雑な気持ちもする。
もちろん人間は誰もが思い込みの中で生きていてその外に完全に出ることはむつかしいのだけど、でもある時に自分と世界とのずれに気づく瞬間があると思う。他者との軋轢によってその機会は何度も訪れると思うのだけど、自分が自分の場所を疑わず、動くつもりがない以上、どんどん「奴が悪い」「世界がおかしい」ということになっていく。
これは自分に対してもいつも問わなければならないことだなあと思う。
しかし、私は若い頃(も今もだけど)人には男女問わず、年齢や立場、見た目や出自も関係なく礼儀を持って接しようと努力しているが、その私が礼儀だと思ってしたことが(例えばちゃんとメールを返すとか、話を最後まで聞くとか、その人の活動に興味を持つとか)相手を過剰に期待させる可能性もあるのだ、ということは随分前から気づいていたが、その最新の道筋が些細に書かれているので、ほうほう、と思いながら読んでいる。
私の「どんな人にも平等に親切にしたい」という偏りと「ちょっとでも真面目に話を聞いてくれるということは自分に惚れているのだ」という偏りが出会うと、まったくお互いのためにならない。お互いが少しずつ譲れたらいいけどね。
その人の没後弟子を目指す以上、やはり自身の全てを棒に振らなければ嘘である。
主人公のこういう高潔なところ(変な高潔さだけど…)や、敬意を持っているものに対してはすごく素直で急にメタ視点が広くなるところ、憎めないと思う。
しかし負け犬根性からなのか大抵の人に対しては敬意を持たず、女性に対しては下卑たことばかり考えているところがまったくもって振れ幅の激しいひとで、友人でなければ面白く眺めてしまうであろう。
audibleにはなかったけれど単行本には葛山久子のモデルの方からの書簡が載っているらしい。SNSでいくつかの断片を読んだが、なかなか慕われている風だった。
主人公は心の中では自分の人をすごく下げているけれど、実際には、おのれの浅ましさに正直、自分をも騙せないくらいに純粋なのかもしれないと思ったりした。この人がTwitterとかでこういうこと書いていたら多分そっとフォローをはずしちゃうと思うけど。ははは。