📖『ムシェ 小さな英雄の物語』キルメン・ウリベ/金子奈美訳(白水社)
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ビルバオからフランスのラ・ロシェルを経由してベルギーのヘントへ亡命した多くの子供達の中のひとり、カルメンを引き取ったロベール・ムシェの話。スペイン内戦から第二次世界大戦、その後ノイエンガンメ強制収容所に続く話。 p128
衝動と言うほうがいい。ある本のなかに作家その人の存在が感じられるとき、その作家がほかの誰よりも見事にその物語を語ってくれるはずだとわかるとき、その声に聞き惚れずにはいられないとき…
ちょうど昨日こんな話をしたのだった。
どんな作品に惹かれるんだろうと、何かしらの作品を見て何かしらの感想を抱いたときに思い返すんだけど、私の場合はそれは真摯さなのだと思う。真摯さにしか支えられない感触や輪郭がある。「真摯」という言葉にしていいのかわからないけれど、それは自分が熱をかけて探求することで、本当に探求しようと思えばそれはエゴのようなものの先にあるはずで、もしかしたら畏れのようなものを知っている人をも指すのかもしれない。その探求がそこに見えさえすれば、表面の粗さや整合性のなさは大した問題ではないと思えることもある。
逆にすごい技術と精緻さがあるのにその探求が見えないものにはどうしても惹かれない。素敵だし綺麗だし感心はするのだけれど。 #何に惹かれるのか p133
(翻訳をしている場面で)彼はその作家たちの世界に入り込み、訳すべき小説の声に耳を澄ませた。それらの声が、前に進み続けるために、行ける人々の声よりもはるかに彼の助けとなってくれた。孤独に暮らす者は、今ここにいない人々、長年会っていない人々、死者たちを友とすることを余儀なくされる。彼らはすぐそこに、日々通りですれ違う人々と同じ次元にいて、その人たちと同様に現実の存在なのだ。
p155
ごく小さなことが強行を引き起こすには充分で、(略)囚人たちには左右のサイズが不揃いな靴が配られた。
靴擦れは(収容所の)栄養状態の悪い餓えた人々にとっては命を奪う苦痛、致命傷になりうる。
よくもこんなことを思いつくものだとつくづく…。
p197
中国の古い詩によれば、二人の人間が激しく愛し合い、あまりに強い結びつきが生まれると、そのどちらかが死んでしまったとき、本当に死んでしまったのは、その後も立って歩き続けているほうなのだという。
p202
その歌が絶えず、繰り返し歌われたおかげで、実に多くの囚人が死を免れた。
終戦直後、ノイエガンメ収容所からリューベックの船に移動する囚人は、もうすでに収容所の中でも命がぎりぎりになっているのに長く歩かされて(しかも終戦したとはいえナチスは戦後に罪を問われることを恐れてできるだけ収容所のことが外に漏れないといい、証拠がなくなればいいと思ったので囚人がなるべく生き残らないようにしたかった)ひどい目に遭わされて、途中で諦めて力尽きる人も多かったのだという。
その時に誰かが歌をうたいだして、それに力づけられ生き延びることができたという話。
この話には続きがあって、終戦50年後の式典で誰かがその歌をうたい、振り返るとそれはまさにあの日自分の命を救ってくれた歌をうたった人だったのだそう。
バスク地方のこと、いまだによく知らない。周辺とは全くちがう言語体系であることとか、フランスとは仲が悪い(それもひどく悪い)こととか、今でも確執というか複雑な関係が残っていることとか、興味はずっとあるのだけれど。 でも今回ちょっとだけ触れられたので、またキルメン・ウリベの著作を読みたいし(幸い金子奈美氏訳の『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』が電子書籍になってる)、もうちょっとスペイン内戦のことも追いたい。