「考速」
https://gyazo.com/b7e89d3f6b79e2dce9027b27e7b3a703
p93「「他のものによって考えられないものはそれ自身によって考えられねばならない」」
Aという事象について、余事象である非Aを記述し尽くすことによって記述する方法、補集合的言及が不可能な事象に関する記述を指す p98「定義と公理と推論規則が定められれば、証明は自動的に展開される。」
p105~ 思考の速度について
p107「面積が同じであるのに、〜」
p113「あるいは、不意に目の前に放り出された脳みそを、絡み合う矢印の山と見なして解きほぐすこと。〜」
これは俺が今まさに行なっっていること。目の前に投げられてあるテクストをじっと見つめ、推論規則を見定め、定理を形作り、公理や定義を逆算していく。
これってつまり、物理学の営みなんだよね
メモ
テーマは記述すること
佐々木敦は円城塔文学の特徴を〈超越的なるもの〉に対していかに橋を架けるかという点にあると主張する。しかし円城塔はそもそもこの〈超越的なるもの〉の実在の認否を留保する。(《文學界》2021.10)
佐々木敦はことあるごとに〈超越的なるもの〉を扱っているとして円城塔文学に言及するが、この認識にずれを感じる。おそらく、佐々木敦と円城塔の間の齟齬は佐々木敦の数理的見識の欠如に由来していて、それは『SRE』文庫版解説などから明確に読み取れる。
いまだに「全ての可能な文字列。〜」の意味を数学的に誤解していることからもこれは明らか。
記述出来ていると思っていたことが実は記述出来ていなかったこと、新たな語りで元々語れていなかったことを語れるようになっていること
ある事象Aを直接言及出来ないなら、余事象非Aを記述し尽くすという語りの技法を開発すればいい。
自己言及を進めて“丸く”なった論理を小説として書けばいい→『SRE』