鈴木優太学級1日参観記
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一度はリアルを見てみたいと思っていた鈴木優太先生の学級を1日訪問させてもらいました。 1日というのは本当に1日で、朝の会が始まる前から子供達が帰るまでの間ということで、かつ、夜は(上の写真のように)牛タンを食べながら2人でリフレクションをしました。 こんなに長い時間見せてもらいながら、少し、優太さんに失礼かなと思ったのは、しっかりと具体的な言葉で優太さんにフィードバックすることができなかったのではないかと思っているところです。
どうもね、自分は何をしても三流なのでこういうときでもしっかり言葉に表すことができません。
などと、カッコつけていましたけどね。(2人で「言語化できない」というのは、そういう時いい言葉ですね」と言っていました)
わたしは、「学び」に興味があって「指導」に重点を置いていません。
ですから、教室に入った時にも「学びの様子」「学びの関係性」「学びの仕組み・しかけ」を見ようとします。もちろん、それらが良好に働くための「教師の立ち位置」や「指導」は見ることになりますが。
そんな感覚を持ったわたしが、優太さんの学級に入って最初に見ていたのが、学級全体を俯瞰して見るということです。もう少し抽象的な表現でいえば、「空気」を感じるでしょうか。1日入り続けることができたので「1時間の授業」というよりも、授業やその他を加えて、優太学級が優太学級であり得ることの「要素」のようなものを見て取ろうとしていました。
そんな中、子どもたちそれぞれが、自分の心地よく過ごす居場所があり、それぞれにそれぞれであってよいという関係、「強い凝集性」や「同調圧力」があるのではなく、「緩やかなコミュニティ」のもと過ごしていることが印象的でした。
これが結果なのか過程なのか不明ですが、このようになるような「指導」や「授業」を優太さんがしてきたことは間違いありません。セミナーや研修会で前に立って「話す」優太さんは思い切り、教師の「指導性」や「牽引力」を前面に出すイメージがある方(少なくともわたしにはそのように映っていましたが)ですが、実際の自分の学級ではそんなことがなく(4月最初には少しそれを出すようなことをおっしゃっていました)、子どもたち自らの力で授業も学校生活も下支えしようとする姿が一貫されていました。すごいです。
あんなに、子どもたち自身で様々なことに取り組むようにしているのに、セミナー等では優太さんのキャラを出してその場にいる人には優太さんという教師がいろんなことを仕向けている仕掛けているように見えてしまっている。それはどうしてか?と尋ねました。
すると、セミナーに来る参加者たちは優太さん(つまり教師)が、どのようにしているかということを楽しみに来ていると感じられる。それを裏切ってはいけないと思ってそのようなセミナー作りをしている、というようばことを答えてくれました。
わたしは、今日1日見ただけで、ましてや、見る目を持たない自分の目で見て、なんともいえないが、優太学級は子どもたちの主体性を大切にし、自主自律を具現化しようとしているように見える。だったら、その自主自律の姿を「映像」(またはプライバシーの関係で映像等で示すのは難しい時は他の方法)で示して、そのような自主自律にどのようにしてなっていったのかということを語っていくとよいのではないかというようなこと話しました。
もちろん、その時に関係するセミナーのタイトル、求められる内容にもよるでしょうけどね。
どうしても、(私にとって)優太さんは、セミナーでは「ネタ」や「コンテンツ」人というイメージが強いです。
もちろん、わたしが1日いた中でも、「会社活動」を互いに評価し合うための「学級内通貨」と「その活用」というある意味「ネタ化」できるものがありますが、その背景、ねらいをしっかり持ってこその「ネタ」なのは十分わかっているので、そこを大切に看取り、語っていくことが、全国の若手リーダー的な位置付けになっている優太さん果たしていくことかなぁなどと思いながら帰ってきました。
最近、優太さんは「リフレクション」にも凝っていて、様々なところで企画運営しているようですが子供の前で話す場面で「リフレクション」や「フィードバック」を促す場面や時間はわたしが思っていた以上に少なく、なんらかの意図があるのだろうなと思いながらそこはあまり深く話をせずに帰ってきてしまいました。また、お目にかかる機会がすぐにありそうなので、忘れていなかったら聞き出してみようと思っています。
わたしの枯れた感覚に水を与えてくれるとって心地よい刺激を与えてもらった1日でした。わたしが1日参観することを受け入れてくださった優太さん、そして、学校に感謝いたします。