違和感の正体
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やはり、「クイズ」の中で、教科書や学習指導要領等の「学び」に直結する内容を取り扱わなかったからではありません。
わたし自身、授業の中で戦隊モノやプリキュアといったおよそ、教科書の内容に登場しないようなキャラクターやらストーリーやら状況を取り扱って実際の授業やら模擬授業等を行っています。
自分自身だけがそういうのがオッケーではなくて、この「模擬授業」を行っている授業の別の方の授業でも、そういった教科書内容を取り扱わなくても違和感を感じたことないし、そういうものを取り扱わなくても構いませんと明言してもいます。
では……どうしてでしょうか。
この「クイズ」の授業者の方は、授業の開始に「クイズをやります。」と始めて、自分が与えられた15分を「クイズ」をみなさんに「協同で」解いてもらうこと「だけ」に終始したことが「違和感」の原因でした。
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どういうこと……?(笑)
ふふふ。
どういうことかといいますと、この授業者は、この与えられた15分の間に、始めでも終わりでもその途中でも、一度も「このクイズをなぜ解いてもらおうと思ったのか」や「クイズを解いてもらう意義」や「クイズへの思い」など、とにかくこの模擬授業の中心になる「思考クイズ」についての「何か」を一切語らなかったのです。
これが、わたしの違和感の正体です。
例えば、
「これから、クイズを行います。わたしは、日ごろからこれからみなさんに解いてもらうような思考クイズが大好きで、テレビ番組はもちろんのこと、書店でも見つけたらすぐにクイズコーナーに立ち寄ってついクイズ本を買ってしまうほどなのです。今回はみなさんにもこの思考クイズの魅力に気づいててもらおうととっておきのクイズを用意しました。」
この程度でもいいです。これは、ただ単純に、「わたしは思考クイズが大好きだぁ〜」としか言っていないわけですが、この程度でも言ってもらっていたらわたしは「違和感」を感じなかったことでしょう。
もちろん、
「思考クイズを解くことでこんな力が付きますよ」「今、世の中を生き抜くためには協同的に思考クイズを解こうとする意欲と力が必要なんです」など、いかにもとても素晴らしい価値づけのようなことを話して進めたら、もっと違和感を感じなかったかもしれません。
なんでもかんでも、無理矢理「目標と学習と評価の一体化」と結びつけるつもりはありません。しかし、それに似た類いがあって初めて「授業」といえるのではないか、そんなことをボンヤリと考えています。 ちなみに、以下のようなコメントを山川晃史さんがFacebookに残してくださっています。もちろん、授業を見ていらっしゃらないし、模擬授業を行うまでにわたしがどのような流れの授業を展開してきたかを知らないでしょうから、微妙なところでのズレはあります。しかし、感じていることは、ほぼ、同じなのだろうと思います。やっぱり、授業づくりネットワーク仲間ですワンッ! 「クイズ大好き人間」であり、かつて「クイズ」や「クイズ番組」の手法を積極的に授業に取り入れてきた私としては、たいへん興味深く読ませていただきました。
肝心の「模擬授業」の「思考クイズ」の内容がわからないので、なんとも言えませんが、阿部さんの「違和感」かどうかは別にして、わたしが考えたのは次のようなことです。
①「模擬授業」では、「目標」を設定しているのか
➁「模擬授業」の「思考クイズ」(問題)は、「協同的」な「活動場面」が必要なのか
①は、同じ教材であっても、まったく異なった学習目標で授業を行うこともあるでしょう。
この「模擬授業」で、目標は設定されていたのでしょうか。目標の設定の有無の是非を言っているのではありません。たとえ、設定がなくても、授業者には「ねらい」があるはずです。それと照らし合わせて、果たしてどうなのかを考えたいと思いました。
➁も実は、①とつながるのですが、形の上で「協同的」な「活動」がなされていても、実は、「問題・課題」とは「合わない」ことがあるからです。たとえば、この「クイズ」が、さまざまな考え方を出し合うことによって、「正答」が導き出せるようなものであれば、問題はありませんが、「ある一つの論理・考え方」によってのみ、「唯一絶対の正解に到達できる」といったような場合、「協同的」な「活動」の意義が? となるわけです。
わたしの感覚では、「思考クイズ」は、まさに「思考」をすることそのものが、目的であって、それ以上の「学習目標」は必要ではないと思っています。(かつて、「論理クイズ」の授業を何度も行ってきましたが、生徒は考えることそのものに楽しさを感じているようでした。)
すみません。まだまだ考えることはありますが、長くなるので、このあたりで。また、今度お会いした時にでも、話しましょう。よろしくお願いします。
たぶん、阿部さんの「授業観」が「違和感」を生み出しているのではないかと思いますが。