相手意識を持ってやりきることの素晴らしさ--連携協力校巡りで思うこと
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学校支援プロジェクトセミナーが終わり、最後の最後に今年お世話になった学校に挨拶に伺っております。お蔭さまで社交辞令が多分に入っていると思いますが、どの学校も今年度の院生の活動を認めて褒めてくださり、こちらこそ感謝の一言に尽きます。 本日、最後の一校に伺いました。
しかし、わたしがすごいなと思うのはこういうことを校長先生が実践してきたということではありません(もちろん、ものすごく素晴らしい実践家だと思います)。こういうことを実践してきた校長先生が、今、自分の所属する先生方に「自分はこういう実践をしてきた。この実践にはこういう良いところがあるから君たちもこういうことをしなさい」というような指示、指令を出していないことです。(わたしがこの学校に勤めているわけじゃないので本当にそうかはわかりません。たぶんという感覚で書いています)
自分が若いときに、自分なりに工夫して取り組もうとしていたことに対して、学年主任に「どうして、お前ばかり〜」という批判を受け、工夫してやることではなく、工夫してやらないことに「揃える」ことへ「揃えさせられた」苦い過去のことをお話してくださいました。これを踏まえて、自分が管理職という指示命令を出しやすい立場になったときに、あえてそういうことをしないでいるのだろうと思います。
わたしは、偶然、一緒に組んだ主任が「揃えよう」という方ではない方ばかりでしたので初任者の頃から退職するまで好きな実践を繰り広げられました。でも、周囲ではよく聞く話ですよね。
わたしも現場の終盤、学年主任の立場のときが何年か続きましたが、「うちの学年は揃えないを揃えよう!」を合言葉に進めてきました。
もちろん、わたしがやっていることに興味関心を投げかけてきたときは説明して一緒にやってみたいと意思表示してくれたときは一緒にやりましたし、毎日発行していた学級通信はお渡ししていました。また、わたしも私の知らない実践をしているときは「面白そうなことしていますね。ちょっと教えてもらっていいですか。」と話して教えてもらうようにしました。
ということで、以上終わり!で終わろうと思いましたが、最近のことを考えるとこの私の「今まで」に少し変化を加えないといけないかなぁと思うときがあります。
それは、私世代でしたら「揃える」を強制されると嫌がる方が多いと思うのですが、今の若い先生は「自分の自由にどうそ」と言われると逆に困る方が多いかもしれないということです。教科書通り進める以外に何をしていいのかわからない可能性も高いのかな。
だから、学年はじめに、今年一年間どのように学年経営を進めるか、相互の考えをしっかり伝えた上で基本ルールを決めていく必要があるのだろうなと思います。4月ドタバタとゆっくり時間を確保する暇はないかもしれませんが、ここをしっかりするかどうかで数カ月後の学年間で良好に保てるか分かれ道ではないかと思うのです。