災害時、身近な情報の取得はTwitterが健在。そして、今回新たにドローン情報も貴重だった〜2019年10月12日の台風19号に関して〜
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わたしの自宅は被害はまったくなかったのだが、わたしが住む「二本松市」は死者が出るなど、台風による傷跡が残った(ご冥福をお祈りいたします)。 テレビでは全国各地の大変な状況が繰り返し繰り返し放送される。特に、今回は台風が本州を縦断して、大量の雨を降らせたということで各地の大変な状況を放送している。これはこれで、全国的な状況を把握するのによりよいのだろうが(たぶん、これがマスコミの役割なのだろう)、局所的な情報を知りたい人間にとって何の役にも立たない。
地域の放送局も、似たりよったりだ。
まずは時間帯が全国放送に占拠されていて本当は地域の情報が知りたいのに、テレビを見ることで自分の周辺の状況が余計にわからなくなる(離れていく)という感覚になってしまい、焦る。
せっかく、地方の放送局の時間帯が来たと思っても、それなりに広い県内の被災情報を伝えるために、自分の知りたい局所情報はやはりイマイチ知ることができない。
結局、今回も力になったのがTwitterだった。短文と写真や短い動画でピンポイントで知りたい情報を検索することができた(もちろん、その場所周辺で投稿してくれる方がいたからこそ、得られた情報だけれども)。 東日本大震災の際、長期的に広範囲で情報が入手しにくくなった時、最も役立ったのがTwitterだった。あのときは携帯電話が通じない。メールもやりとりできない。なんとかネット回線は繋がっているようだがどこもしっかりつながらない。そこでピンポイントの最新情報を入手できたのがTwitterだった。今回もそこは同じだった。ちなみに、Facebookは「友達関係」の情報でのやりとりなので、安否確認や知り合いとの情報のやり取りはできても(これも貴重な情報だけれども)、ピンポイントの地域情報の入手となると得意ではないようだ。 わたしの場合、自宅と妻の実家との間に、テレビなどでは取り上げられない程度の(とはいっても、そこに住んでいる方々、そこを生活の基盤としている方々にとっては大変な状況の)情報は、より全国的に(また、地方局的には地方的に)甚大な情報で打ち消されてしまって入手しにくい。でも、確実にそこにいる人達には困難な状況になっている。そこで、次々にわたしの自宅と妻の実家との間にある、被災状況をTwitter中心に獲得することができた。もちろん、各行政、自治体が出してくれる道路状況等も大いに参考はなった。
他に今回のことで印象に残ったこと。
1つは、まだまだ一般的とまではいかないだろうし、今後も一般の人達が当たり前のように使うまではいかないだろうが、東日本大震災では見ることのできなかったドローンの活躍があった。その地域地域でドローンを操作できる方々がその地域の全体の様子をドローンを使った空からの映像で知らせてくれた。これは、テレビ局のヘリコプターを使った大がかかりではないものの、知りたい映像をさっと知ることができるということでまた、わたしたちに一つ力を貸してくれるツールなのだなと思った。とはいっても、スマホのように今後、皆が皆、所持して使うということはないだろうが。
途中、停電中のコンビニに立ち寄る機会があった。さすがに、その場面や店内の様子を写真に撮る感覚になかったが、停電ということで真っ暗な店内で冷蔵、冷凍が前提の食べ物等が使い物にならなくなっていく様を見て愕然とすると同時に、そんな中でも必要なものを販売して少しでも地域に役立ってもらえるようにしようという姿が印象的だった。そこで目にしたのはレジの様子。停電でレジが使えないものだから、一生懸命手計算をして精算をしていた。この様子を見て自然災害の国、日本では「お金」の完全電子化は無理かもしれないと思った。もちろん、お金のやり取りを前提にできないほど大変な状況になったら「現金」なんて関係なくなるのだろうけれど(そんな状態を想像したくない)。 人とのつながり
数時間、自宅と妻の実家との道路が分断された。そして妻の実家地域が停電になった。妻の実家と連絡がつかなくなった。妻の実家の近くに住んでいる知人と携帯で連絡が取れて安否を確認してもらいに行ってもらった(無事で安心した)。下の記事がとても印象的で、その中でもこの記事に紹介されているお母さんのたくさんの方とのつながりがとても印象的だ。
こういう事例を見聞すると、すぐに以下の熊谷晋一郎さんの話を思い出す。東日本大震災後、そして、「自立」ということを考える機会として熊谷晋一郎さんの言動をいろいろと集めたことがあった。 そして、これらは、考えてみれば最近、読書感想でアップした下の本と共通するところが多い。 今回も、こうした「生」に関することを通して、「人との関わり」「人とのつながり」で様々な悲喜こもごもとしたものがあったのではないかと思う。
すでに、上越に帰ってきているわたしだが、週末3日間は、別世界に行っていたような感覚でまだ頭の中が整理できていない。