歳と共に、原稿に向かう力が難しくなってくる実感
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わたしも関わっている教育雑誌「授業づくりネットワーク」の今号が重版になり、多くの方々に認められ、受け入れられている喜びを感じています。まだ、ご購入いただいていない方は、ぜひどうぞ。 次の号の準備を進めています。わたしも、原稿を一つ受け持っています。次号の「授業づくりネットワーク」の内容を知りたいって?「阿部がどんな内容の原稿を書いたかって?」 はははは。その詳細は、まだ出版されるまで待ってください。上の2枚の写真でどんな原稿を書いたか予想してもらえますと嬉しく思います。
若い頃に比べて、スラスラスラっと原稿を書けなくなっている自分を感じます。今回も難産でした。とにかく、締切期限だけは守るようにしています。やっと書き終えました。
若いときはたくさん実践を書きたくて、ウズウズしていました。そして、少し大げさですが、踊るように原稿を書いていました。
しかし、最近はこの踊るように書くということができません。どうしてでしょうか。
一つに求められる原稿内容が異なってきたことがあげられます。
歳を重ね、そして立場が変わって、若いときの「こんな工夫をしました」「こんな実践をしてみました」という原稿ではない原稿が求められるようになしました。少し理論的なこと、研究的な視点が求められる分、時間をかけて考え込んで書かなければならない原稿が増えました。わたしの今の立場を考慮してくださってこその依頼です。大変嬉しいです。
反面、わたしの若かりし頃とほぼ同じような内容の原稿依頼をしてくる方がいらっしゃいます。これも悩みます。なぜならわたしはすでにいつでもできる実践フィールドを失くしてしまっているので、工夫した実践依頼の要望に応えることができなくなっているのです。
だからといって、全くの研究ベースの原稿を依頼されても困ります。研究者の中心に入り込んでいるわけではありませんから。わたしは、やはり「現場」が大好きで、現場を見つめて現場を考えて生きていきたい、仕事を勧めたいわけです。
まさに臨床教育学を求めていきたいです。このあたり、いろいろとさまよっているのでしっかり立ち位置を見つけなければですね。 もう一つは、これも歳を重ねたからにつながりますが、自分の書いている内容の幼さとそれに加えて、または幼いと確実に比較するであろう他者がいることを知ったからこその「怖さ」によるものです。
若い頃、まだインターネットが黎明期で一般的でなかった頃、わたしは比較的速く自分のホームページを立ち上げます。「あい・らぶ・しょうがっこう」という名前です。そのときにチャレンジしたのは1日1授業実践をホームページにアップするでした。それをそれなりに長く続けました。今思うとよくやったなぁと思います。私が喜々として書いている授業実践を誰かは「こんなことしているよ、馬鹿だなぁ」と思って見る方がいるかもしれないじゃないですか(実際いたと思います)。その存在を考えることなしに書き続けていた自分がいるのです。今思うと恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ありません。 まぁ、でもね、その恥ずかしいことを続けてきた自分に今の自分がつながっているとは思うのですけどね。
特に今は、批判、批評、非難が簡単に拡散されていく時代です。それを受け止めつつ、どれだけアウトプットしていくか、そこが大切だろうと思います。わたしはわたしのやれる範囲の中でアウトプットし続けます。
さて、次の原稿に向かわねば!