東北青年塾で見つけた自分の核「強制しない、させない、されたくない!」
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(東北青年塾ファイナルの時に、自分は過去を振り返らないのが特徴だと語っておきながら、振り返っているなぁ……汗) その時に、出てきたときの自分の考えがずっと頭にあります。それは、
強制しない、させない、されたくない
です。
いつ頃そういう考え、生き方になったのか自分でもわかりませんが、物心ついてからずっとずっと、ここの立ち位置で生きてきたように思います。
わたしは、子どもの頃から、比較的素直でいい子でしたけれども(今もそうですが)、この「強制される」ということには非常に敏感でした。ここに関しては、がんとして譲らなかったことが、たびたびあったと思います。家庭でも、学校でも、友達関係でも。 例ば、強制される内容が、皆が皆、「納得できる」内容であったとしても、つまり、私自身が納得できるものであったとしても、それが「強制」だと、とにかく、反抗したくなるのです。
ですから、例え、今、自分が夢中で取り組んでいることでも、例えば、『学び合い』を強制された瞬間、わたしは取り組まなくなるでしょう。
もちろん、『学び合い』と「強制」は不釣り合いですから、そもそも『学び合い』を強制すること自体、なんだかおかしいですけどね。 もちろんもちろん、わたしは、弱っかすですので、この「反抗」についても様々で、自分がその方々との関係上、強く物が言える時は、対面きって「嫌です」「やりたくありません」「やるつもりはありません」というかもしれませんし、その方々との関係上、強く物が言えない時は、目の前では何も言わず「実際はやらない」「やったふりをする」「いやいややる」(そして、その方々と距離を置く、あまりかかわらない、そういう人なのだと思う)というようにします。
日本って、ずーーっと昔からかもしれませんが、専制国家ではないはずなのに、なぜか、わたたしたち国民、または、その集団の構成員が、自ら「強制」を働かせやすいところがありますよね。「同調圧力」とも関係してくるかと思います。 この「同調圧力」ももう、嫌で嫌で仕方ない自分がいました。
考えてみれば、今、注目を浴びている「働き方改革」の考え方も、なんだか、「強制」と「同調圧力」が働いているものをたくさん見ます。
長時間労働だ!
だから、労働時間を短くしなければならない。
○時までには、全員が必ず帰りなさい!(帰らなければならない!)
うーん、そこが「肝」なのでしょうか。
要は、仕事量が多いのだったら、その仕事量を少なくするようなインフラや環境を整えて、あとは、「早く帰る」のも「仕事を続ける」のもその人の自由にし、「早く帰る」ことを「ずるい人間」というように思わないようにしていくということが大切なのではないかと思います。
自分が、教員として働いていたときも、その関係でいろいろと考えていたことがあります。
例えば、あいさつとか、靴箱のくつそろえとか、……いろいろとね。 もちろん、あいさつをしなくていいということではありません。あいさつの大切さ、あいさつするとどんないいことがあるか、気持ちいいか、効果……等々を説明するのはいいと思います。そして、教師自ら明るくあいさつするもいいですよね。あとは……あとは……、子どもたちの判断でしょう。それでいいでしょう。
「あいさつしてくれて、ありがとう」
ですよ。あいさつしたくてもできない子、あいさつどころではない子、……様々です。