映画「悪人」感想
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ということで、いつものありがちなパターンを「やはり」繰り返しました。これ、たぶん、ずっと続くだろうなぁ。
いつものありがちなパターンとは、「小説」を読んで、「映画」を見るというパターンです。
これあれかな。「映画」を見てから「小説」を読むというパターンの方が「満足率」が高いでしょうか?どうなのでしょうか?
昨夕、上越に到着すると、少し時間をもてあましたわたしは、この映画を見ることにしました。
原作が「小説」で、それをもとに「映画」をつくった場合、ストーリーの「正解」が小説になるわけじゃないですか。それで、やむを得ないとき以外は、まずは「正解」である小説を読んで、その後、それをもとにしてつくられたと思われる「映画(やテレビドラマなどの映像)」をみているわたしですけれど、この順番で満足いったことが記憶の中では一つもありません。
例えば、「ジェラシックパーク(一番最初の作品)」は、たぶん「映画」を見てからおもしろいなぁ、もっと詳しいこと知りたいなぁと思って「小説」を読みました。映画で描かれなかった登場人物の内面を知ることができて、小説を読んでいても面白かったです。「映画→小説」は、文字を読みながら、あっ、この場面は映画のこのところを描いているなと思いながら読みますね。あっ、でも、「小説→映画」も映画を見ながら、あっ、この場面は小説のこのところを描いているなと思いながら読むか……。 ちなみに、わたしの小説の感想はこちらです。(読んだというよりも聴いたわけですけどね)
小説を音声にして聴くと「14時間58分」になるものを、映画では2時間19分(139分)にして表現するわけですから、いろいろとカットされますよね。特に、この小説は登場人物の「背景」を事細かく書いていての「14時間58分」です。これを短い時間にするとなると、「背景」をカットせざるを得ませんよね。
そんな簡単に、出会い系サイトで知り合った2人が、生まれながらにして出会うべき2人くらいに強く思ってしまうようになったのか。
父が思う娘と実際の娘、そして、世間から見る娘の大きなギャップのこと
主人公が母親にお金を借りるようにしていたのはどうしてか
祖母が首にまいたネッカチーフの意味
「悪人」ということ
などなど、映画ではうまく描ききれませんよね。むずかしいっす。
逆に映像だからこそ表現できたことって何でしょう。わたしの中に一つだけあります。それは、被害者の父が「お前に大切な人はいるのか?」というところです。「大切な人」を彼は「その人が幸せであることが、自分のこと以上にうれしい存在」とか「自分よりも大切なもの」のような言い方をしています。これ、娘が死ぬきっかけをつくった大学生に迫りに行くときに語る言葉ですが、小説だと直接その大学生にしか言っているように見えませんが(というか、これは読解力の関係で、わたしにはそのようにしか読めなかったというか聴けなかったのですが、人によっては最初から映画のように感じたかもしれませんね)、映画では父が語るとき、この大学生だけでなく、その場にいない、逃げている主人公のところとか、祖母のその時の姿も映し出していました。そうかぁ、これは全体に語っている言葉であり、全体に貫かれている言葉なのかと発見しました。(というか、やっぱ、今気づくのは読解力がないのか、自分)。
これには、納得で、ミョーに記憶に残りました。
俳優の演技がどうのこうのじゃないんだなぁ。風景も小説に書かれているようなところでバッチリだったし……。
強烈に「生きる望み」のようなものが無くなり、日々を淡々と生きるようになったとき、人生をどのように生きていくのか……それを考えていきたいと思わせるような作品ですね。
わたし、何もしないで1日過ごしていても、生きているだけで幸せですけどね。ノーテンキなんだなぁ。自分。
今、悩むのは、Audibleで聞き始めたのが「ロクヨン」です。これも、映画、そして、評価がとても高い、NHKドラマ版もあります。映画、ドラマは見ていません。小説を聴き終えてから見た方がいいのか、映像を見てしまってから小説を聴いた方がいいのか、悩みます。