映画「壬生義士伝」感想
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小説を読んだ後、映画を見た時のいつもの感想をここに書く形になる。
映画も、小説同様に、直接、新撰組が活躍した時代を主人公の目線、またはそれに寄り添う目線(難しく書いているけれど、よくあるような時代映画風という意味)で描くのではなく、大正期を「今」としてそこから遡る視点で吉村貫一郎を見ていくようにしている。小説の形を崩さないようにしたわけだ。 しかし、そこまでで、たくさんの情報量がある小説を映画にするには、何を削除して整理して映画として成立させるか…ここが難しかっただろう。
考えてみれば、小説は主人公がたくさん存在する。だいたいは吉村貫一郎をたくさんの登場人物が見て語っているのだが、小説ではその語り手の視点視点が立場や時間軸、場所を変えて語っているので吉村貫一郎を巡る広さと深さがハンパない。 そして、映画にはそれを描きようがない…。
またまた、小説の話にもどるが、「小説の感想(浅田次郎著「壬生義士伝」感想)」に書いているが、今回、この小説はAudibleで聴き進めた。この小説の面白さの一つに、吉村貫一郎が中心に語る南部弁があると思う。それを、Audibleでは生き生きと聴くことができるのがいい。これ、自分が普通に読書で読み進めたのでは、南部弁のところ読みにくかっただろうし、その時点で読み進めるのをやめていたかもしれない。 いかに生きるのか、死ぬまで、そして死んでもわからない問いなのかもしれないが、考え続ける題材としてよい小説、そして、映画だと思う。