社会実装とは何なのか
恐らく僕は社会実装について考えているふりをしていたのではないかと思うYudai.icon この感覚はとりあえずブロックチェーンを使いたいって考えている人や会社に近いのでは?って思った
なぜ社会に必要なのか、そのように社会がなる必要があるのか、なぜ未来はそうなるのか、そして何が必要になるのかを考えてきているとは思う
その先の未来にも少し触れたり、プラットフォームやテクノロジーに対しての統治にも触れている
しかしこれはSFとも取れるのかもしれないのではないか?
確かにこのSF的な話をしているのは僕だけではない
実際にSSIというムーブメントが起きているわけで、MyDataというムーブメントが起きているわけで。
どこか自分の頭の中で気付けない人に対して、そのうち分かることになるよってスタンスでしかなかったんだと思う
だから以前SSIを導入したいクライアントに対して思想などを伝えたりした
技術的な部分も深く伝えたりもした
考え方やその使い方は間違っている時は違うと思うと伝えて、自分の案なども考えたりした
これはあまりにも間違った事をしていたのではないかと思う
社会実装
研究開発によって得られた知識・技術・製品・サービスを、実社会で活用すること。
ただここで問題とされていることが多くの人が思う事ではないし、感じる問題ではないってこと
これ自分の実経験としてクリプトに興味を持つときに政府や企業に僕たちは潜在的に操られている的な事を全く持って理解が出来なかった
言葉として言っていることが分からないというわけではなかった
これケンブリッジアナリティカについて調べたりネットフリックスを見たりして色々と感じたのは覚えてる
それでも感じる人もいれば感じない人もいるってこと
啓蒙する上で根本的な思想の部分、問題を伝えることは重要であるが、社会実装が進むわけではない。 地道な草の根運動を行う事は必要であるし、僕自身もやっていく必要があり、人生を通して続けていく
僕たちが分散型PDSを作ることは社会実装するうえで必要なこと 手を動かすこと
でも使われなければ社会に実装されているとは言えない
当たり前
使ってもらうにはビジョンや思想に共感してもらう必要がある
これは啓蒙活動
重要なのはここからで、
現在システム構造のProblemとソリューションをマッチングさせる必要がある
これはユースケースを考える事だと思う
ただ僕はユースケースの考え方が間違っていたんだと気づいた
○○に使えるって考えるのは正しいが、○○の問題を解決するから使えるって考える必要がある
で僕は前者しか考えられていなかったんだと思う
この例の言語化で気持ちよかったのが、
これが社会実装を考える上で僕たちが考えるべき言語化であり、啓蒙する上で必要な言葉だと思う
なんかもしかしたら当たり前なのかもしれないが、僕の中ではかなり大きなパラダイムシフトだと思ったYudai.icon