悪臭基準の甘さ、ネグレクト、そして他者からの視線
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from 2025/12/29
悪臭基準の甘さ、ネグレクト、そして他者からの視線
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部屋の掃除をする
要らないものを実家送りにする
紙の本が多いから引っ越しの際に邪魔になる
廃棄の方法を考えるのが面倒で放置していた完全なるゴミを捨てる
服を捨てて服を買う
悪臭が染み付いている
悪臭とはなにかを理解していなかったので、こんなになってしまった
私の中での悪臭の基準が高い(満たしづらい)
悪臭: 生ゴミ、うんこ、アンモニア、硫化水素、酢、酢みたいな汗の臭い
ちょっと臭い: ドリアン、生臭さ、生臭い汗の匂い、カビみたいな汗の臭い
臭くない: 納豆、アーモンドみたいな汗の匂い
自分の中の非常識を実感する時に自分の生育環境を振り返りたくなる
例えば悪臭に鈍感なことに気づいた時に、ネグレクトを疑ってみたり
ネグレクトの当事者である保護者や子供は、それが当たり前の状況になっている場合が少なくなく、ネグレクトのある環境で育ったのちに自らもネグレクトをおこなう、世代間連鎖がある[7]。
ネグレクト - Wikipedia
自分自身が怠惰の末に客観的にみたらセルフネグレクトと言われてもおかしくない状態にあるので、そもそも幼少期の生活がネグレクト気味だったのではないかと
気づく度に「ほうほう。これは異常なことなのか」と思ってボチボチと直したり直さなかったりする。
自分の感覚を基準にすると基準がミズボラシイ寄りなので、同じ状態の他人を見て私は心配するだろうかと考えると良い
穴の空いた靴下を履いている人をみた時に靴下を買ってあげたくなる。
臭い人を見て何の病気だろうか(肝臓でも悪いのだろうか)と思うことがある。
他人にどう思われるかという考え方が理解できなかった(する気がなかった)
人からどう見られるかを気にしている時の親を見ると、みみっちい感じがするせいで、「ああはなるまい」と思ったから
冠婚葬祭の時に慌てて面倒くさそうに準備しているのを見ると溜息が出る
たまに叱る時に周囲の目を理由にされると理由になっていないと思った
話し方で人が離れていくという話を聞いても、そもそも合わない人が離れていくんだから直すメリットがなくないかと思ったりした。
「他人を不快にさせる」という話を聞いても、不快になるのは相手の勝手じゃないかと思ったりした。
ここまで他人の気持ちをそれってあなたの感想ですよねと突っぱねるのは、私の場合は小さくて慢性的なイジメを我慢していた幼少期にあると思う
他者の感情への反発と慢性的な対人ストレス我慢
しかし、実際に自分と同じくらい病的な他者を見ると、ハッとさせられる。
その人を失礼な人や怖い人とは思わない。
ただ病的に見える。
その気になれば健康に振る舞えるのに病的に見えるようにしておくのは、周囲に心配をかける事になる。
例えば普通に歩ける状態の時は、足を引きずりながら歩くこともできる。
できるからと言って足を引きずりながら歩く方を選ぶと、歩く時に足を引きずると周りの意図に心配される。
誰も顔には出さないけど。
人は人を見る時にその人ができる中で最も健康的に振る舞っているものとして考える。
だから、足を引きずっている人は、本気で歩いたうえであの歩き方になっているのだと了解する。