遊び
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play, game, Spiel, jeu
遊びってなんでしょうかね。
気晴らし……?
「仕事」の対義語……?
不真面目なもの……?
いろいろな人の探究を以下に記しました。
1. 遊びには「魔法円」という境界がある。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』
遊びを人間の文化の根源に位置づけた。
ホモ・ルーデンス = 遊ぶ人
彼によれば、遊びは特殊な「魔法円(マジックサークル)」の中で行われるもの。
日常の時空間から切り離されたところ。
この中では、現実の利害から自由であり、それ自体の楽しさを目的とする、固有の秩序(ルール)が支配するとしました。
2. 遊びは子どもの内面世界にとって重要
20世紀初頭の精神分析フィールドからの指摘。
子どもにとって、遊びは不安を克服するための心理的な作業。
フロイト
現実で経験した不快な出来事を反復する。
自らコントロール可能な状況に置き換える。
fort-da (いないいないばあ)
遊びは潜在空間 potential space で行われる
ウィニコット
遊びだけでなく、文化、芸術、宗教といった人間的な創造活動全般が潜在空間から生まれると考えた。
潜在空間は、上述の魔法円(ホイジンガ)に似ているが、個人のより内的な心理発達に焦点を当てている点が特徴。
3. 社会学・人類学の視点でみる、遊びの構造と機能
20世紀半ばになってくると、遊びの社会的な機能や構造が注目されるようになりました。
遊びの、より精密かつ網羅的な分類学を構築しようとした。
カイヨワ
「遊びが人間の根源的な営みであり、遊びは日常の利害関心から切り離されたところ(魔法円)で行われる」というホイジンガの立場を継承。
他方、「ホイジンガの定義は、美しすぎる。それゆえに現実の多様な遊びを捉えきれていない」と、遊びに関してを洗練させた。
カイヨワはホイジンガの何を乗り越えようとしたか
遊びは、メタ・メッセージ
ベイトソン
動物の子どもが戯れ合って噛み付くとき、その噛み付きは「今のこれは本物の戦いではない。あくまで遊びである。」というメタ・メッセージに枠づけられています。
この遊びの枠づけ(フレーム)を理解し、共有能力が高度なコミュニケーションの基礎。
いわゆるわかりやすい遊びだけでなく、コミュニケーション全般も、メッセージの内容自体だけでなく、そのメッセージがどのような文脈(コンテキスト)で語られているかを理解し合うことで成り立っています。
笑い、ユーモア、風刺、演劇など、あらゆるコミュニケーション活動を理解する上で不可欠な視点と言えます。
遊びは、カーニヴァル
バフチン
中世の「カーニヴァル」に、遊びの根源的な力があるとしました。
ここでのカーニヴァルとは、日常の厳格な決まりごとや権威が一時的に転倒あるいは無効化され、人々が身分などを問わず、グロテスクで猥雑な笑いやパロディに興じるような、解放的な祝祭空間を指します。
このカーニヴァル理論は、文学や文化の中に、いかにして公的な権威を笑い飛ばし、転覆させるカウンターカルチャー的な力を潜んでいるかを分析するための強力なツールとなりました。
遊びの中に含まれる、笑い・ユーモア・パロディ・風刺などの役割を考える嚆矢となりました。
遊びの面白さは、外部的価値とのバランスで決まる
ゴッフマン
遊びの面白さは、現実から完全に切り離されているわけではないのではないか。という議論です。
外部に基盤のある事柄(現実の価値観や人間関係)が、遊びの枠組み(フレーム)に、どの程度持ち込まれるかのバランスの具合の中に、遊びが成立すると考えました。
コミュニケーションゲームやパーティゲームを考えるとき、これは非常に重要な指摘です。
4. 遊びと人間存在
遊びは、娯楽の領域だけに留まらず、人間存在の本質に関わるものとして、哲学の領域でも論じられてきました。
「人間は、遊んでいるときにのみ、完全に人間である」
シラー
遊びを人間の自由の最高の表現とみなしました。
言語ゲーム
ヴィトゲンシュタイン
言語が持つ規則と、その運用における柔軟性を、この遊びの比喩を用いて論じました。