ポスト構造主義
post-structuralism
1960年代後半以降のフランスを中心に現れた思想的潮流。
「構造主義以後」あるいは「構造主義の批判的継承」を意味する語です。
構造主義が提示した「人間や社会は、目に見えない『構造』によって規定されている」という基本的な視座は受け継ぎつつも、その「構造」自体の安定性や普遍性を疑い、それが常に揺らぎ、変化し、解体されうることを強調する立場です。
構造主義は、神話や言語の背後にある、静的で、普遍的な「構造」を発見しようと試みた。
ポスト構造主義は、その「構造」が決して固定的ではなく、常に権力関係や歴史的偶然性によって生成・変化するものであることを暴き出した。
そして、その構造の中心をずらし、そこから逸脱していく逃走線を描こうとする。
代表的な思想家+その概念
フーコー
後期のフーコーは、自らを構造主義者と見なされることを拒みました。
彼は、知(言説)と権力が分かち難く結びつき、特定の時代や場所において、何が「真理」とされるかを決定するメカニズムを分析ます。
彼の関心は、普遍的な構造ではなく、常に変化する権力関係の配置にあったと言えるでしょう。
デリダ
西洋哲学の根底にある、声(パロール)を文字(エクリチュール)より優位に置く音声中心主義を例に、二項対立的な構造前半を批判しました。
脱構築 déconstruction という手法を用いて、テクストの内部に潜む矛盾を暴き出し、構造の中心を揺るがす「差延」の戯れを明らかにしました。
元々 déconstruction は、ハイデガーの言う Abbau(解体)のフランス語訳として、Destruktion(destruction, 破壊あるいは解体の意)をあてた語です。
ドゥルーズ-ガタリ
中心を持ち、階層的に秩序づけられた「ツリー(樹木)」のような構造を批判し、中心を持たず、予測不可能な形でどこにでも繋がっていく地下茎のような「リゾーム」という思考モデルを提示しました。
実にCosense的だな、と思います。
ボードゲームのルールは、一見すると固定的な「構造」に見えますが、その一方で、ハウスルールの存在、プレイヤーによるルールの解釈の多様性、あるいは魔法円の外側から持ち込まれる日常や言語ゲームは、その構造が常に、遊び、戯れ、余白などによって揺るがされ、脱構築される可能性を示します。
ポスト構造主義は、このルールの隙間や外部に、新たな視点を提供してくれるかと思います。