世界の創造【ゲーマゲ】
初言及: ゲーマゲ大反省会2
ゲーマゲの世界観では、“世界の創造”という行為は特別な能力なしにだれでも行えるものであるとされている。
というのも、ひとがここではないどこかの世界を想像するということはすなわち、今いる世界(リアル)のなかにいながら別の世界(フィクション/シミュレーション)を創り出すということに他ならない。そのため、眠って夢を見ること、小説を書くこと、はたまた小説を読むことでさえ、ある種の“世界の創造”行為であるといえる。 このような当たり前の行為である“世界の創造”とは違って貫存在のユニークスキルが特異であるといえる最たる部分は、能力の使い手が世界をまたいで移動したり、事物を移動させたりするところにあるといえよう。ふつう、ただ世界を創造できるだけの一般人は、新たにフィクション/シミュレーションの世界を生み出したとしてもその異世界へと移動することはできない。しかし貫存在は、各人ごとに異なる条件の下でその異世界へと移動するか、あるいはその異世界から何かをリアルな世界へと持ち込むことができる。移動経路や因果関係がそれ自体のなかで完結しているということが“世界”というものの本来の定義なので、異世界に対して移動経路や因果関係を結ぶ貫存在はまさしく超常の存在であると言わざるを得ない。 また、貫存在のユニークスキルのなかでも、とくに終末器は“世界の創造”に対して対照的な性質を見せている。終末器は異世界転移を可能にするスキルだが、その転移の本質は、いまいる世界をフィクション/シミュレーションにして新たにリアルだとされる世界を創造してからその新世界に転移することにある。ここにおける新世界の創造は、リアルな世界からフィクション/シミュレーションな異世界を創り出すふつうの創造とは機序がまったく逆にあたるため、とくべつに“逆創造”と呼ばれることもある。 ちなみに、フィクションとしての異世界とシミュレーションとしての異世界が同質とみなしうるか(物語としての異世界と単なる“たられば”としての異世界は互いに区別できるか)という問題に対しては複数の見方がある。ゲーマゲの世界観では『両者は特別に区別されるわけではない』という見方を採用しており、汎将という一つの能力の延長でフィクションへもシミュレーションへも転移することができる。