自然にユルく在れ〜自分は自分でいいのだという安心できる学びの場を作るために〜
自然にユルく在れ〜自分は自分でいいのだという安心できる学びの場を作るために〜
本書では子どもたちに「全面的な自由」を手渡し、その中で自分の行動すべての結果を自分で受け取る責任を発生させます。一見自由に満ちた楽しい学習空間化のように見えますが、子どもたちは始めのすぐにその“厳しさ”に気づきます。 徹底的に自分の内面に向かい合う。これには苦しさがつきまといます。またそこから自己変革を志向するときにも。こういう学習のシステムを構築するには、前提として「アナタはアナタでいいのだよ」という徹底的に子どもたち一人ひとりが受容されるような安心できる風土を教室の中に産まなければなりません。いつもポカポカうららかな春の日のようなゆるさが教室には必要なのです。
子どもたちに「アナタはアナタでいいのだよ」というメッセージを届けるためにはまず、教師自身が「自分である」ことが一番だと思っています。つまり自然体でいればいい。教師が“教師という仮面”をかぶれれば、とうぜん子どもたちも“子供という仮面”をかぶります。その薄っぺらい仮面がもたらす教育効果はものすごく薄い上に、本当の自分の姿を見失わせるという深刻な副作用もある。そんな仮面は今すぐ脱ぎさればいいと思います。 友達といる時、家族といる時と、教室で過ごす時のぼくは何の違いもありません。ぼくは、ぼくのまま、教室に存在しています。できないことはできない。得意なところは得意。ストロングポイントとウィークポイントをはっきりと示し子供たちとシェアしています。具体的にいうと「学ぶことに関すること、生きることに関すること」については徹底的に考え抜いている。でも、字を手丁寧に書いたり、細かい準備をしたりすることはとっても苦手。暗算も苦手。歴史の知識も、歴史好きの子に負ける。そんなの当たり前です。目の前にいるのはもう、人間10年目の人達なんです。10年あれば何か人より優れたものを持っていて当たり前。人間を10年前後やっている人に対してすべての面で教師のほうが勝っていると考えるほうが不自然ですよね。ある状況において自分よりも子どもたちの方が理にかなったことをいうこともある。そういう状況に出会った時“ガッコウだから”とか“キョウシとして”とかいう仮面に気を取られて、自分の素の反応を隠して仮面をかぶって不自然な力のかかった指導をしてしまえば、関係は崩れていきます。いろいろな仮面をとっぱらって、人と人として付き合う。子どもたち一人ひとりが、自分は自分のままでいいと感じ、教室が安心できる学びの場であると感じられるにはまず、教師の人としての自然な在り方が大切なのではないかと思うのです。