教師には「強制力」と「影響力」がもともと与えられている。
教師には「強制力」と「影響力」がもともと与えられている。
太陽にはだれも拒否できないほど強い「影響力」がありますよね。同じように教師にもそれがある。そのことに十分に注意を払わなくてはならないと思っています。僕は教師2年目で、そのことを痛感させられる出来事に出会いました。
僕の教師人生は2年生の担任から始まりました。教育のあり方について大きな違和感を感じつつ、教室の子供達とはそれなりに楽しく1年間を終えることができました。そして次の年、持ち上がりで3年生を担任することになりました。初任校は2クラスだったのでクラス替えがあり、クラスの半分の子達は2年目、もう半分の子たちは初めて担任する子たちとして、スタートしました。またその年もそれなりに楽しく過ごしていたのですが、あれは6月ごろだったでしょうか。去年から僕のクラスにいたある子の言動や考え方が僕に似ている事に気づいたのです。それは1年目にその子を担任しているときにはあまり感じない感覚でした。もしかして…とおもってその視点でクラスを眺めると、強い傾向ではありませんが、持ち上がりで2年目に担任する子たちの言動には無意識に僕が発している言葉や考え方が感染っているように感じられたのです。この出来事は僕にとってすごく衝撃的でした。着任してから、教師の思いどおりに子どもたちを管理し操作しようとする関わりに非常に違和感を持っており、大きな声や威圧的な態度で子どもたちを動かし、表面的に従っている子供をみて満足している教師が大嫌いでした。だからそういうことにはすごく敏感に、子どもたちの中から学びを生み出そうとしてきたのですが、その意図の外側で、そういう意図を生み出している僕の“考え方”が子どもたちに影響を与えていたのかもしれないのです。こういうことから、僕は「教師は役者たれ」という言葉が嫌いです。そんな薄っぺらい意図は子どもたちに薄っぺらい影響しか与えない。子どもたちに本当に伝わるのは「そういう演技をしている腹で本当に教師が考えていること」なんです。教師の影響力とはここに自分の意図とは無関係に発動してしまう。だからこそ、ここに非常に敏感にならなくてはならないのだと思わされた出来事でした。