成長に光を当てろ〜教師による評価〜
成長に光を当てろ〜教師による評価〜
前のページは教師の「在り方」のような内容でしたね。ここからは少しこそから「やり方」に話を進めていきましょう。「全面的に自由な学びの場」における太陽である教師は、教室でどう振る舞うべきか。簡単に言うとその役割は「成長に光を当てること」です。僕はこれを「評価」と呼びます。太陽としての教師は教室にアツさと暖かさをもたらすだけでなく、子どもたちの成長を照らし出すこともしなければなりません。
トップランナーを照らし出す
指導者が「できないこと、困ったこと」に意識を向ければ、子供たちの意識もできないこと、困ったことにむく。指導者が「できていること、すごいこと」に意識を向ければ、子供たちもそちらに目がいく。これが積み重なれば、導入当初には実は差がなかったクラスの姿は、1年後、全く異なる姿になっていると言う事がありえる気がしています。
例えば、カールルイスが100mを9秒台で走った時、みんなその結果に驚き、喜び、称え、憧れますよね。そうすると、その後9秒台で走る選手が続々と出てくる。これはスポーツ界では有名な現象です。でもカールルイスが世界で初めて9秒代を記録した時、世界の他の人たちは10秒の壁を越えられず困っていたわけですよね。この時、一人の9秒台に着目せず、10秒代で困っている選手たちを嘆き、今の走法ではやっぱり難しいよなぁ越えられても一人か・・・。と世界の人たちが捉えれば、どうでしょう。9秒代で走れる人はその後、増え続けるでしょうか。その増え方は前者と変わらぬスピードでしょうか。なんだかそうはならない気がしますよね。
教室でも同じです。けテぶれを受け取った子供たち一人一人をよく見てください。その中に、一人でも、たとえ世界記録レベルではなくても、学びの海を自由に泳ぐ子はいないでしょうか。相対評価でいいのです。そのクラスの中の世界記録であれば、それでいいのです。指導者はぜひ、その一人の姿をとりあげ、喜び、たたえてあげて欲しいのです。すると、その子に近いレベルの子たちが、そのさきのイメージを明確に持つ事ができます。そして、真似し、アレンジし、新たな世界記録を出すようになるのです。教室のポジティブな影響の連鎖反応とはこうして起こしていけばいいのだと思っています。その起点はなんといっても教師です。
”変化しようとする層”こそ真の上位層
では低、中位層はどうするのか、と疑問をもたれる方もおられると思います。初めはトップ層の輝きにフォーカスし、その姿に驚き、讃えます。そうしながら、低、中位層の姿を注意深く観察しておくのです。
次に取り上げるべきは低、中位層の”変化”です。トップ層がいきなり輝くのは”もともとできた”からです。プールにいたイルカを海に放てば当然物凄いスピードで泳ぎ始めます。
でも、低、中位層はそうではなかった。その低、中位層が変化したと言うことは”初めはできなかった事が、できるようになってきた”と言う事です。これほどすごいことはありません。もともと持っていた力だけで勝負している上位層にも成し遂げられていない子はたくさんいるはずです。
そして「けテぶれ」で重視したいのはまさにこの「現在位置から自分の力で一歩進む姿」です。僕はこれを短く「学習力」と言っています。けテぶれに取り組むクラスの真の上位層はこの「学習力」を発揮できる子どもたちです。そしてこの層と「学力」のトップ層は必ずしも一致しません。こういう環境の中で、徐々に子どもたちは「できるできない」を問題にしなくなっていきます。できるときも、できないときも、その状況から進むことの楽しさを感じられるからです。僕が担任したクラスの子はこんなメッセージを黒板に書いてくれました。大切なのは「できるできないではなく、やるかやらないかだ」
このように、「学習観」を徐々に更新していく。「学ぶこと」を本質的に手渡していくには、こういう事が必要なのだと思います。
起点は教師。
「できること」よりも「できるようになること」の方が楽しい。「できる」からといって、学習時間の大部分をぼーっと過ごしていても楽しくない。物事を楽しみ、成長するためには「できるできない」を問題にしていてもしょうがない。「やるか、やらないか」が大切で、それが“楽しさ”を分ける。
この意識のうねりはどこから生まれたのでしょうか。それは教師の意識からです。もう一度いいますが、指導者の意識のベクトルは、子供たちの意識ベクトルに大きく影響します。教師の意識のベクトルに意識的になることは学習集団と関わる上で非常に大切なポイントです。ぜひ、この点に気をつけて見てください。教室のなかの最高到達点を見つけ、その姿を喜び、讃えてあげてください。ポジティブな相互作用はそこを起点に回り始めます。光が当たれば、熱が生まれ、風が吹くのです。