徹底的にアツくシコウせよ〜真に自立した学び手だけが、真に自立した学び手を育てられる〜
徹底的にアツくシコウせよ〜真に自立した学び手だけが、真に自立した学び手を育てられる〜
教師は自然体で。と述べました。でもそれは何の努力もしなくていいということではありません。「自然体でいられるほど、自分の内面にある思いや考え方を、教育者としてふさわしいものにする努力を絶えずしていかなければならない」ということです。それは表面上仮面をかぶってその場だけをやり過ごすスキルを身につけるよりも遥かに難しいことです。ではその努力とは何をすればいいのか。結論から言うと「努力し続ける努力」をすべきだと思っています。 教育に正解はありません。いえ、教育に「一般的な」正解はない、というべきですね。教育における“正解”は常に教師と子どもたち、子どもたち同士の間にあるのです。教師はそれを常に見つけようとしなければならない。毎年、毎日、毎時間、毎秒です。〇〇のスキルセットが揃えば教師として完成!と言えるほど単純な職業ではないのです。得るべき具体的なスキルは挙げ始めればキリがありませんし、際限なく挙げることにはあまり意味がありません。なぜならそういうスキルはどこまで言っても「“その人”が関わった子どもたちとの間に見つけたスキル」でしか無いからです。そこにヒントは隠れているでしょうが、それは自分がそのまま活用できるような「一般的な正解」ではありません。
教師として本当にやらなければならないことは、そのような「誰かが言っている正解探し」ではなく、自分と自分の目の前の子供達との間に、「そこにしか無い正解を見つける」ことです。そしてその正解を更新し続けることです。なぜなら、ある瞬間に正解だった解答は、次の瞬間には間違いになる、なんてことは往々にしてありえるからです。去年のクラスでうまくいったことが、今年のクラスでは空回りするなんてことはよくありますよね。
だから、大切なのは、努力をし続ける努力。求め続ける努力。より良いすがたを「志向」し続けることなのだと思います。その「志向」の歩みは、授業に対して、教材に対して、教育に対して向けられる指導者の徹底的な「思考」と、その試行から導き出された仮説をためらうこと無く試し、洗練し続ける際限なき「試行」の両輪によって進みます。志向=思考+試行。この3つのシコウを徹底的に回すことでしか無いと思うのです。より良い世界を“志向”して、徹底的には“思考”し、際限なく“試行”する。これって自立した学び手としての姿そのものですよね。こういう教師の“在り方”が言葉を越えて、子どもたちに影響を与えていくのだと思います。真に自立した学び手だけが、真に自立した学び手を育てられる。これもまた単純な理屈ですね。