問題意識(文章産出)
実際の学校現場をみると、「書く活動」は多い。授業の振り返りを書いたり、作品鑑賞の感想を書いたり、読書感想文を書いたり、毎日かんたんな日記を書かせているという教師も多いのではないかと思う。しかし、そういった「書く活動」の中で、意図的に書くことについての方略的知識が指導されているケースは決して多くない。いま学校生活で課される多くの「書く活動」は、「書けばいいだけの活動」になっていることが多いように思うのである。ワークシートや作文指導では、最低限の文字数を確保しなさい、という指示だけが強調され、論理構造や表現技法に関する指導がなされている場面は大変少ない。「書くこと」に対して苦手意識を持っている児童は大変多くいることが〇〇の調査によって明らかにされているが、この現状の背景には、学校現場の「書く活動」が「書けばいいだけの活動」になっているという問題があるのではないか。
これを教師の指導力不足と片付けてしまうのは簡単だが、本稿ではそういうアプローチをしない。学校教育の書く活動が書けばいいだけの活動になってしまっているのは、それだけ「書く指導」が大変だからである。なぜ書く指導が大変なのか。それは子どもたち一人ひとりがそれぞれ違った内容を書くからだ。教科書の読み取りや計算問題などの指導では、みんな同じ問題に取り組みだいたい同じような回答を目指す。しかし、書く活動は子どもたち一人ひとりのアイディアを言語化していくため、内容が非常に多様になる。するとその指導場面においては、児童が書いた文章を読み、論理構造を確かめ、展開の工夫をし、表現技法を例示し…ということを一人ひとりやっていかなければならなくなる。が、そのような個別指導を全員に対して丁寧にやる時間は当然のことながらなく、その結果「文字数だけは確保しなさい」ということくらいしかできなくなってくる。これが「書く指導がしにくい」という問題の構造であるように思える。この構造を転換させることで子どもたちの書く力を伸ばす指導環境を実現することができないだろうか。