なぜ学校に来るのか②〜予測不可能な相互作用の中に自分を見つける〜
なぜ学校に来るのか②〜予測不可能な相互作用の中に自分を見つける〜
では学校は不要か、といえば全くそうは思っていません。学ぶ目的は「本当の自分」と出会うためだと述べました。「本当の自分」は鏡にも写真にも映らない。だから自由な世界で自分を動かしてみて、その足跡を振り返り、自分の思考や感情と対話をしながら、徐々にその輪郭をはっきりとさせていくのです。「自学→自由→自分」はそういうことを促すためのプロセスです。 でも「自分」の姿が映し出される場所がもう一つあります。それが「他者との関わりの中」です。「人間」と書くように、人は人の間に“人間性”を見出すのだと思います。笑いかけられたら、自然に笑顔になる。困っていたら助けてあげたくなる。頑張っていたら応援したくなる。もらったらお返しをしたくなる。こういう自然な心の動きに素直に反応しながら、自分として、人として、気持ちのいい在り方を学んでいくのだと思うのです。こういう“自然”なやり取りの中に自分を見つけ、“在り方”を作っていく。学校はこういう場所であると思うのです。そしてこれは学校でしか生み出せない学びです。 学校は毎日同じところに同じメンバーが集まり、関わり合う空間です。ごちゃごちゃとした予測不可能な相互作用の中に偶発的に生まれたり消えたりする"価値"を受け取ったり、手放したりするなかで、「変化しゆく自分」を実感させてやること。もしくは「変化を恐れる自分」と葛藤すること。それ以前に、ダレカとの対話、ナニカとの対話、そして自分との対話を通じて「自分」を認識すること。こういう学びを経験させてやれる施設は今の社会で学校をおいて無いのではないでしょうか。 そしてこういった価値は、キレイに交通整理されて、予定調和に進む授業では決して生み出れることはありません。