けテぶれ✕授業の「目標」〜テストで合格点をとろう!〜
けテぶれ✕授業の「目標」〜テストで合格点をとろう!〜
大きく抽象的な「目的」はアツく、わかりやすく、魅力的に、様々な方法で1年間を通して語り続けることが必要です。それに対して「目標」は小さく具体的なものを設定すべきです。大きく抽象的な目的に対して目標までも抽象的であれば、学習者は自分の学びをどこに向かって進めればよいのかわからなくなります。例えば「目的:自立した学習者になる。目標:主体的に勉強をする」では、今自分は目標に対してどのくらいの距離にいて、どうなれば目標が達成されたのか、自分で判断することができませんよね。“全面的に自由な学びの場”に、曖昧な判断基準しか設定されていなければ始めは自由に浮足立っていた子どもたちも、すぐに口先だけで現状を正当化し、学ぶことをやめてしまいます。だからこそ大きく抽象的な「目的(ビジョン)」に対して、そこに向かう標となるべき「目標」は、小さく具体的に設定すべきなのです。
では、「目的」が「自立した学習者になる」である場合、その「目標」はどうなるか。僕はそれ(目標)を「テストで合格点を取る」にしています。こうした小さく具体的な目標は子どもたちにとって非常にわかりやすく、そこ(目標)に向かう一歩をイメージしやすいからです。「来週の小テストで90点以上を取りましょう」と言われたら、なんとなく今日から何をすればいいのかわかりますよね。僕の場合は、大テストの合格点=80点、小テストの合格点=90点、日々のけテぶれで自分でやるテストの合格点を100点、としています。これを下回れば、再テストです。(つまり、自己学習におけるけテぶれは自分で設定したテストに100点が取れるまで、何度も回そう、ということになります。)さらに、こういう数値化された目標は、学習の結果を分析しやすいという利点もあります。90点以上を目標に学習した結果80点だったのなら10点分の努力が足りなかったということです。1問5点なら2問分ですね。このように、数値化された目標は自分の学習努力を客観的に分析しやすくなります。
ちなみに、こういういわゆる漢字テストのような“お勉強”以外の目標も「自立した学習者になる」という目的にむかう標として活用することもできます。けテぶれにおける「学習」とは「自分の外側の知識や技能を自分の内側に定着させようとする行為」だと定義しています。たとえばリレーの練習も立派な「学習」行為なのです。すると、リレーのタイムをあげるためにする努力もまた「自立した学習者」への道程として捉えることができるようになる。目標は「バトンパスのミスを0回にする」とか、「○○秒を切る」とかいくらでも設定できますね。その目標に向かってけテぶれを回せばよいのです。