「考える」ってなに?
子供の頃「自分で考えなさい!」とよく言われたものだ。教師になってからは、自分で考えなさい!とよく言う。しかしここでふと立ち止まる。「考える」という行為は一体何をすることなのだろうと。歩くという行為は、右足と左足を順番に前に出し、そのリズムで上半身も動かす行為だということを知っている。だから歩ける。では、「考える」とは何をする行為か。これがわかっていなければ、「自分で考えなさい!」と言われても、何をしたらいいかわからないではないか。でも多くの子供達は「自分で考えなさい」と言われた時、なんとなくそうしようとする。そして多くの子達はなんとなくそうできている。これがまずいのではないか。何となくやれる行為はなんとなくしかやれない。
もし今みなさんに“いい笑顔を作ってください”といえばみなさんは、なんとなくいい笑顔を作ることができるだろう。ではその笑顔の質は、小学生のときから良くなっているだろうか。もう笑顔を作って何十年と経つが、その質は高まっているだろうか。そうではない人がほとんどではないだろうか。なぜなら、なんとなく、やっているからだ。
でも中には、意識的に自分の笑顔を高めようとしてきた方もおられるかもしれない。その方は“笑顔の質を高めるため”に何をしたのだろう。鏡を見て、目の動き、口の動き、と笑顔の要素に着目して、その動きを意識し、それらの動きを統合してよりよい笑顔を構成する努力をしたのではないか。なにかに意識的になろうとする時、その対象をいくつかの要素に分けることと、その要素同士のつながりを知ることが求められるのだ。
それは“考える”という行為を意識するときも同じである。“考える”とはどんな要素からできているのか。要素をどう統合すればより良く“考える”という行為を構成できるのか。これを明らかにすることから、“考える”という行為の質を高める努力は始まるのではないか。
僕はそう考えて“考える”に含まれる要素を4つ抽出した。1つ目は「問いに出会う」である。問いがないと思考は生まれない。問いが出れば次は「問いに答えるために必要な情報を抜き出す」ことが求められる。そして3つ目は「情報同士の関係性を確かめながら組み立てる」最後に4つ目は、「集めてきた情報とそれらの関係性を整理して、最終的な論理構造を決定する」である。これら「問いを持ち、抜き出し、組み立て、整理する」の4ステップの頭文字をとって。「QNKS」としてキーワード化した。 “考える”とは「QNKS」をすることである。と定義したのである。
このように「自分で考えなさい!」というからには、“考える”という行為の解像度を高めて、手渡してやる必要があるのではないか。そしてこうして「QNKS」として考えるという行為を手渡してやることができれば、子どもたちは「考える」という行為そのものについて意識して高めようとすることができるようになるのではないか。