「学び方」も「見方考え方」も“自分”にインストールする
「学び方」も「見方考え方」も“自分”にインストールする
こういうことを書くと「正しい知識を伝えることも必要ではないか」とか「教科の本質的な味方考え方を伝えなくてよいのか」といったお声が聞こえてきそうです。もちろん僕はそれらの価値を否定しませんし、それらを伝えることも大切であると考えています。
繰り返し述べている「両輪」の思考です。教科特有の学びも大切ですが、その “見方考え方”は何にインストールするのでしょうか。そのインストール先は“自分の味方考え方”ですよね。そう考えると、自分なりの味方考え方が曖昧模糊としたままの状態で、教科特有の見方考え方なんて受け取れるのでしょうか。それはあたかも、どのメーカーのどのバージョンのどんな言語で書かれたOSがインストールされているのかわからないパソコンに新しくアプリをインストールしようとしているような感じがします。情報を受け取る側のカタチがわからないのに、一方的に“正解”を押し付けても、システムは正しく動くことはありません。まずは、「自分が」「自分の見方考え方」を知ること。この車輪を一方でしっかりと形作ることが必要であると思うのです。
このような「自分について深く学ぶ」学びを生み出すための手立てとして「けテぶれシート」を使っています。(詳しくはP○)