「何でもあり」から「何が“最も”いいのだろう」へ
「何でもあり」から「何が“最も”いいのだろう」へ。
しかし、いつまでも「なんでもあり」の空間ではいけません。“なんでもあり”な雰囲気を作り出すことの目的は「子どもたちの心から“怖れ”を取り除くこと」です。これが完了すれば次のステップに進まなければ、子どもたちはだんだん飽きてきます。
では次のステップとはなにか。それは「何が“最も”いいのだろう」という問いを常にもたせることです。すると「練習」の色味が少し変わってきます。今までのように思いつくまま、楽しそうなことをやっていればいいわけではなくなる。「結果」と照らし合わせて、最も良い方法を探究しなければならなくなるわけです。こうして「練習」の色味が変わると、当然そこに接続されている「分析」の観点も変わって来る。なぜなら学習内容についてどれができてどれがイマイチかということを思考するだけでなく、前回の「練習」がきっちりと作用しているのかどうか、ということを考えなければならなくなってくるからです。すると「計画」も「テスト」も新たな意識が芽生える。そこに常に並走する問いが「自分にあった学習の方法はなんだろう」です。
この問いが並走し始めたとき、子どもたちの学びに対する意識が1段上に上がります。学習内容を定着させようという意識+学習方法を工夫しようという意識ですね。けテぶれの本丸はこの意識のレイヤーの上昇にあるわけです。ここを狙いたい。
(図)
こうなると、「脳科学が証明した効率的な勉強法!」なんていうネットや書籍で無限に紹介されている勉強方法に関する知識がすべて「けテぶれ」の思考の中に収まってしまうことがわかると思います。“なるほど、そういう方法もあるのね、試しに自分のけテぶれに取り入れて見ようかな”という具合ですね。「けテぶれ」は世の中に無限にある効率的な勉強法を紹介するという文脈のひとつ上にあるということを理解してください。
勉強の方法って色々あるんです。その有効性にいくら“科学的な裏付け”があろうとも、やっぱり子どもたちそれぞれにとって相性ってあるのです。だから、たくさんある方法の中から、自分にあるものを見つける過程って必要なんですよ。もしくはそれらを組み合わせて自分なりの方法を作り上げる過程。その過程について書いた本がけテぶれ宿題革命の本なんです。