QNKSは一方通行?
(注)長くて小難しいです
QNKSの各過程には相補的な関係性があります。
いい問いはいい情報収集を呼びいい情報収集はいい構造化を呼び…といった本来の流れとは逆に、良い構造が、いい情報収集を呼び、いい情報収集がいい問いを生むという逆の流れもあるということです。
良質なQが良質なNを呼ぶ。⇄良質なNが良質なQを呼ぶ。
これは当然ですね。いい問いはいい要素を呼んできます。そして逆もしかりなのです。つまり、良い要素を出すことがいい問いづくりには肝心なわけです。どちらが先でもいいですが、見落とされているのは後者でしょう。いい問いづくり、ということはよく言われるのですが、いい素材集め、はなかなか言われない。そっちのベクトルも在るのだ、と知っておくことは損ではないはずです。さらに言うなら、良いN→良いQのベクトルのほうが強い、ということもまたあります。
問に出会う+問いを捕まえる。
日々生活していて「問い」って自然に浮かびますよね。(「浮かばないけど…」と思われる方は、子供時代を思い出してください。これってなんだろう?と不思議に思われた経験ってないでしょうか。それらの問を追求する面白さを知る機会が得られなければ、脳は「問い」をいらない情報として、意識上に上げてくれません。無意識下で削除してしまいます)
自然に問いが浮かぶ。これってどういうことかといえば、日々生きている中で自然に「N」つまり、要素の抽出が行われていて、それらが不意につながったり、矛盾したりすることに気づき、(これはK、つまり要素の構造化です)「問い」として浮かび上がっているのです。(一つのまとまりとして認識された時、それをS、整理されたと考えます)僕はこれを「問いに出会う」と表現します。と言って、「さあ問いを出すぞ」というものではなく、日常の中でふと浮か部ものだと思うのです。大切なのはそれを逃さないことです。僕はこれを「問いを捕まえる」と表現します。問いは作るものではない。出会い、捕まえるものである。と思っています。
だから、振り返りシートや、一言日記が有効なのです。日々の生活をしているだけで知覚や感覚は蓄積されていきますが、それらを「文字にして捕まえる」ことで、本当なら無意識下に沈んでしまうような事柄も、意識上に保存できます。1日単位で見れば、その日感じたこととはというQに基づき、NKSをしていますが、1ヶ月単位で見れば、この1ヶ月の思考とはというQをたて、日々の記述をまるごと「N」として捉えることができます。それらをざーっと振り返り、つながりを直感し(K)閃きや問いとして練り上げる(s)という事ができるようになるのです。QNKSの流れを知っているだけで、日々の振り返りは単なるお楽しみ日記ではなく、思考のためのデータ蓄積行為であると認識できるようになります。
ちなみにぼくはツイッターをそういう役割として使っています。僕の思考をNする場所です。定期的にこれらを構造化して、今どの部分について思考しているのかについて、意識的になるようにしています。良質な問に出会うときはたいてい、そういうことをしているときです。
良質なNが良質なKを呼ぶ。
これもまたわかりやすいと思います。良い要素が抽出できれば、いい構造体が作れる。料理に例えるとわかりやすいですね。いい具材が集まれば、いい料理ができるのです。ただここで注意してほしいのは“いい”の定義です。よい知識とはその“深さ”で決まると思っています。どれだけ対象の奥深くから、本質的な情報を抜き出してこられているのかが、要素の“よさ”を決定するのです。対象とは、物質でもいいし、現象でもいいし、他者でもいいし、自己でもいい。なんでも対象になります。対象の表面的な特性ではなく、本質に迫る情報を基にすることがよいKを作ることとなります。では良質なNとはどうやって導くのか。良質な問いからも導けますが、良質なKからも導けるのです。
良質なKが良質なNを呼ぶ。
「対象とは、物質でもいいし、現象でもいいし、他者でもいいし、自己でもいい。」と先程述べました。この4つをNしたわけです。僕なんかはもうこれらをKしたくなります。他者・物質・現象・自己、という配列かな?じゃあ表現はベン図がいいかな?など…笑)
(思考ツールとはこのようにQNKSのKの段階から検討が始まります。今回はNの関係性を頭の中である程度関連付けて、すぐにベン図を選択しましたが、そうでない場合もあります。つまり、一度使った思考ツールではどうも表現したい意味構造が表現しきれない。そうなれば、図の変更が求められます。K→Sの流れですね。このように思考ツールの使用は、基本的な思考過程(QNKS)と目的意識をもったプロセスの進行の中に位置づけて初めて真価を発揮すると思っています。
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丁度いいので、これを例にKがNを呼ぶということをご説明しましょう。いま4つの要素は上記のように整理することができました。大きくは他者と自己の対立があり、その間に現象が起こる。物質とは自己の外側のものだから、他者の中に入るな、というSです。すると、「物質」だけがなんだかおさまりが悪いですよね。自己の丸の中にも「物質」に対応するものはないかな…と考え始めるわけです。現にこの文章を書きながら僕も考えています。すると、まず浮かぶのが「思考」でした。
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でも少し違和感があります。物質は手に取ることができるのに、それに対応する要素が「思考」であるのはなんだか違う気がする…ああそうか。自己の要素の中に含まれる手に取ることができる要素は「身体」だ。ということは「思考」は自己の要素の中に含まれる、物質との対概念になるのか。ということはこっちに持ってこよう…
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すると、面白いですね。明らかに一つ抜けているところが目につくわけです。他者の性質の中にある、思考に対応するもの。「気持ち」としましょう。
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このように、構造Kは要素Nを呼ぶのです。はじめの問いは「要素の“よさ”を決定するのです。対象とは、物質でもいいし、現象でもいいし、他者でもいいし、自己でもいい。なんでも対象になります。」という文章を書いていたときに浮かんだ「要素を抽出する対象とは何が在るだろう」という問いでした。ただこれだけを基にベタッと箇条書きにするよりも、ひとまずNされたものとKすることで、遥かに効率よく、Nができるのです。
対象の本質的な情報をNしようと思っても、はじめは表面的な特徴しかわからないのは当然です。私達は無意識に対象からの情報を組み立て、ということは…こんな一面も在るはずだよな、と観点を見出し、対象から新たな要素を抽出しようとしています。この営みこそが、対象を理解しようとする行為であり、QNKSの文脈で言うならば、対象から本質的な情報をNしようとしているという行為なわけであります。大谷翔平選手が使っていたことで有名になった「マンダラチャート」なんかは、Nを呼ぶためのツールですね。四角を埋めることで必然的に「抜け」に目が行くようになり、Nが促される。
良質なKが良質なSを呼ぶ。⇄良質なSが良質なKを呼ぶ。
NとKを行き来しながら、適切な表現形式を模索する思考活動をSと呼びます。要素と構造を整理するということですね。このときK、つまり、要素同士の関係性について深く理解していればしているほど、適切な表現形式を選択することができます。K→Sの流れですね。構造を把握すればするほど、より良く要素と構造を整理することができる。またその逆に、要素と構造を整理(s)することで、様相の関係性についてより深く理解できるようになっていくというS→Kのベクトルもあります。SとKの補完関係とはこの様になっています。
スクラップアンドビルド
面白いのは、それらの構造を不定期に破壊し、新しい構造体として作り直す、というタイミングもあります。同じ要素でも組み合わせ方によって全く異なる構造体になります(レゴを思い出してもらうとわかりやすいですね)こうして、構造をいじる、壊す、作る、ということをしていくと何がいいかといえば「要素」について更に詳しくなるということです。
上の例でいうと、僕としては他者(物質+気持ち)に少し違和感があります。自己の中の身体と他者の物質とは同じなのか?と。他者の気持ちが自己の思考?考えていくと、もうひっくるめて「主体」を真ん中において、周りに客体を置く。その間に起こる相互作用が現象である。とするともう少しわかりやすいかな?と考えたりします。
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するとこうなりました。「S」はこうして、「K」で選択した表現形式を一度崩して、また作ってということを繰り返す中で生まれます。この例題に関しても、まだまだ他の形式で表現することも可能ですよね。本紙では個々までにしますが、ぜひ色々考えてみてください。
ちなみに、ここでどんな表現形式を選択しようかと考える時「思考ツール」の知識があれば、選択肢が広がりますよね。もしくは、1から表現形式を考える手間を省ける。一覧できるものが手元にあれば考えやすいです…が、それはあくまでも「K→S」の活動のとき、今取り扱っている「要素+構造」をより適切に表現するにはどういう形が良いのか、という問いに答えるためにつかうものです。その前には「N→K」がないとSにはいけません。これをすっ飛ばして、思考ツールだけを与えるから、子どもたちはそれらを使いこなせないのです。思考ツールは与えればいいというものではありません。それらはあくまでも「要素同士のつながり」を表す表現形式の1つでしかないのです。そのまえに「要素」について詳しくなければ、当然構造の工夫はできませんし、要素同士のつながりを頭で理解していなければ、よりふさわしい表現形式を“思考ツール”と呼ばれる選択肢の中から選ぶことなんてできないのです。
言語で置き換えると単純明快ですね。「単語」を知らずに、文の構造を使いこなせと言われているようなものです。もしくは、単語を使って文章がかけていないのに、倒置法、体言止め、いろいろな表現形式から、最も適切なものを選べ!と言われているようなもの。無理がありますよね。「要素」と「構造」を扱うのだからどれも同じです。でもなぜか「思考ツール」はそれを手渡せばいいという雰囲気がある。その前に「N」と「K」を徹底的にやっていなければ、使いこなすことはできません。
一方で、QNKSのそれぞれの段階は相補関係にあります。つまり、Sで扱う表現形式の機能について深く理解する事で、構造表現(K)が豊かになり、多様な構造表現によって、効率的、本質的に情報を抜き出す(N)ことができるようになる。といったベクトルもまた考えれないことはありません。(もしくは、構造表現を豊かにすることで本質的なQを生み出す)
「思考ツール」を有効に伝えてらっしゃる先生は、そのツールはどんな情報構造を表すときに使えるのか、どういうときには向いていないのか、といったことを丁寧に指導しながら一つずつ手渡しておられるはずです。そしてそれらを活用する場面も意図的設けている。
いずれにせよ「ツール」は「ツール」なのです。大工さんの工具一式を渡されたところで家は立てられませんよね。使い方を教えてもらわなければなりません。しかも、その前には「要素と構造」についての理解も必須です。この場合は「要素への理解」=「木材についての理解」ですね。木の特性に精通していなければ、柱に適した木、床に適した木を山から切り出して(N)くることはできません。さらに、家自体の構造が…もういいですね笑 全ては「要素」と「構造」でできているのです。
良質なSが良質なQを呼ぶ。
さて、ここまで要素が構造を呼び、構造が要素を呼び、その過程で、構造が破壊され、新たな構造が生まれ…ということを繰り返しながらこんな図まで来ました。
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最後に良質なSが良質なQを呼ぶ。これを見てみましょう。この図を見ていると、少し不安な気持ちになってきます。他者や、物質を客体として扱うのはわかるのですが、「自分」が客体として捉えられています。でもありえますよね。自分について思考する時、自分は客体なのです。・・・・では、「主体としての自分」とはどこにいるのか。という問いが出てきますね。「自分について考える時、自分はどこにいるのか。」そこでふと前の「ベン図」をみると、個々に入っていない言葉があります。「思考」ですね。自分すらも「客体」として捉えてしまった時ですら、思考活動は確実に「主体としての自分」がやっていますよね。なるほど。「思考するものとしての自分」はいつも「主体」としてあり得るのか。という一つの納得に至ります。もうお気づきですね。デカルトの「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」です。
今起こったことは「Q ⇄ N ⇄ K ⇄ S」の中で最終的に見いだされた図(S)から、「自分すら客体として捉えた時、主体としての自分はどこにいるのか」という問い(Q)が生まれたわけです。これが良質なSが良質なQを生むという現象です。そしてその先の現象も起こりましたね。「思考」というキーワードに着目することによって「コギト・エルゴ・スム」に至りました。良質なQが良質なNを生んだという現象です。デカルトはここから思考を始めたわけです。つまり、良質なNがその後の良質なK、S、Qを呼んでいったということです。
僕もこれを書き始めたときはここに帰結するとは全く思っていませんでした。おそらく、別の日にやればまた違う結論になるかも知れません。「要素」は無限にあるし、その組み合わせ方(構造)もまた無限通り考えられるのですから。だから思考って面白いんですよね。
良質なQが良質なSを呼ぶ。
そしてもとに戻ります。良質なQが良質なSを呼ぶ。問いを洗練するということは、要素と構造を美しく整えることにつながる。問いとは大黒柱のようなものですね。柱(問い)が太く、深く、そして高くそびえ立っていれば、その周りに必然的に要素構造は大きく、高く、することが可能です。さらに大黒柱を支える複数の中くらいの柱(本質的な問から派生した問い)が精緻に立てられていれば、複雑な構造物も建築可能になります。だから問いは「立てる」というのでしょうかね笑そのあたりはわかりませんが。
逆に、頼りない柱(問い)はすぐに折れたり曲がったりします。良質のQが良質のSを生む。これまで見てきたとおり、各過程は補完関係にありますので、「問い」を洗練させることはその後のNKSをブレさせないことに繋がります。「問い」を核にクラスの思考活動を促そうとするのはとても本質的なアプローチであるということがわかりますね。(その問いを洗練させるためにもまたQNKSが回る…という事はもうくどいのでやめます。)
最後に…この相補関係的な性質は何にどう役に立つのか。それは、どこかの過程で行き詰まれば、先に進んでみるのがよろしい。ということ。わからなければ、もうわからないままにして先に進んで見ればいいんです。そうやってぐるぐるとQNKSを回っていけば段々と思考の輪郭が浮かび上がってくるはずです。