概念とは
人間、読者をしたり、何かを体験したり、誰かと話をしたりして、言葉を獲得していくものである
言葉を獲得するということは、脳の中に、情報の受容体を作ることなのだろうと思う
受容体が存在しないがゆえに、知覚から溢れてしまった情報もあることだろう
受容体が存在するがゆえに、本来はない情報を錯覚してしまうことも、あるのだろう
例えばそういうことひとつとっても、あらゆる人間が、異なる現実を生きているということがよくわかる
一方で、共有するということは、受容体そのものの並列化、ではないんだろうとも思う
きっと、他者(と認定した対象)との間の、情報交換のプロセスのなかで、特定のプロトコルにおける、共振のようなものが起きたとき、相手を自分の延長のように感じるのだろう
#プロジェクトとは 畢竟、相手に行動を促すことであるわけだから、知覚、認知、理解、共感という一連のプロセスのhackは、その活動における中核的技術であるには違いない ただし、それを突き詰めると、まさしく洗脳というべきしろものになってしまうので、かなりアブナイ話になってしまう恐れもなくもない
この、相手に対して自発性を植え付ける方向性を、仮に、アプローチAとでも呼ぶと、アプローチBも、もちろん、考えられる
つまり、社会的なルールにより相手を拘束し、内心の自由を与えつつも、こちらの望まない行動選択の余地を削ぐ、という方法である
どちらが人道的なのか、倫理的に望ましいのかは、よくわからないけれども
人間同士の集合が、自然物や人工物に対して、協力しながらそうした知性を働かせる、というほうが、健全であるようにも思われる
そうした協働が起こる発火点、特異点のようなものがある
そういう発火点のことを、「プロジェクトの見性点」とでも呼べばいいのかもしれない