常識が通じない
常識とはなにか、と、考え出すと、これほど難しい問題もないわけだが
大組織とプロジェクトをやると、実にこのことを、いつも思い知らされるのである
彼らは自組織の常識を生きていて、「世間」というものを知らない
一方で、プロジェクトワークには、一定の「当たり前」が存在する
納期とは、どういうものなのか
仕様とは、何を記述するのか
契約とは、なんのために結ぶのか
レスポンスは、どうやって返すのか
あるいは、意思表示の方法、仕草、言葉遣い
ノンバーバルなサイン。
組織内の常識と、世間の当たり前は、兄弟みたいなもので、ある程度似ている
しかし、決定的な部分が異なっていたりする
そのため、同じ言葉を使っていても、それが指す内実が、致命的に異なる
異文化との衝突は、平和的とは限らない
平和のうちに異文化との交渉を行おうとするならば、一見無目的的な「交流」が欠かせない
しかし、ひとたびビジネスプロジェクトが立ち上がったとき、それをする余裕がないことが、実に、多いのである
だからこそ、経済はムラ化し、蛸壺化し、ルーチンワーク化していく
しかしそれは効率性をもたらすが、根本的に閉鎖系なので、シュリンクしていく
越境的な仕事をしていると、そのことが、よく分かるし、そういう意味では #プロジェクトとは 閉鎖系同士を繋いでいくものであり、このような文脈において、プロジェクトの中心者は、トリックスターでなければならない