対生成・対消滅
科学的に正しい言葉の意味がわかっているわけではないが、おそらく、対生成や対消滅という現象は、「ある」のだと思う。
光の速度で繋がる因果関係を超える速度の関係。
あるものが生まれるとき、それに対になるものが、同時に生まれる。
あるものが滅するとき、それに対になるものが、同時に滅する。
例えば、哺乳類の進化において、なぜ、母側の乳房と乳児側の口蓋が同時に、互いに適合する形で進化したのか、みたいな問題がある。
自然淘汰、という、因果的な原理だけでは、説明のつかない問題である。
こうした問題も、きっと、対生成・対消滅によって、いつかどこかで、説明されてしまうような気がしている。
対生成・対消滅とは、つまり、縁起的な枠組みの話なのだと思う。
こういう話を延長していくと、自分が変わるということが、すなわちイコール、世界が変わるということなんだ、ということになる。
結構あながちそれは、間違ってない議論であるような気がしている。