プロジェクトとアリ
プロジェクト活動を考えるに、アリほど面白い動物もないと思う。「プロジェクトとアリ」を考えるに当たっておそらくテーマはふたつある。ひとつは「組織的行動による大局観の実現」。もうひとつは、「共生」である。
「組織的行動による大局観の実現」
アリは「各個体が局所的な情報をもとに近視眼的に行動し、結果的に、組織として大局的に最適な行動をする生き物」である
https://gyazo.com/bb8e5f304d8c7242997add71a55ecb40
https://gyazo.com/a25292d7b7f155bf2a8ee6db3e0c8750
引用:
https://gyazo.com/7750f7b96b1d5d3b51cbdfbcaa09c2f6
この本で非常に新鮮だったのが「反応閾値」の話
仕事に対してすぐに反応する敏感なやつもいる
よほどのことがないと働かないやつもいる
それらの特性が分散しているからこそ、仕事が渋滞しない
必要に応じて集まり、解散するようにできている
アリの世界は、プロマネがいなくても、回っているのである!
人間のプロジェクト行動もまた、「各個体が局所的な情報をもとに近視眼的に行動し、結果的に、組織として大局的に最適な行動」をしようとするという点ではアリとまった変わらない。もちろん、異なる点もある。最大の違いは、人間は「大局観を想像する」そして「言語により意思疎通する」ということである。
アリの気持ちを聞いたことがないから、本当はどうなのかわからないけれども、まぁ、多分、アリは目の前のことしか、考えていないと思うのである。
いずれにせよ、組織的行動がなんのためにあるかというと、一義的には狩猟採集活動の効率化、ということであっただろう。そしてそれが行き着くテーマとは、ライバルとの競争や外敵との闘争に打ち克つ、ということである。
組織的行動を発達させることは、進化の歴史のなかで、非常に重要な転換点だったと思われる。しかし、それを達成すればアガリ、というわけにはいかなかった。独自の生産システムを高度に発達させた種が必ず直面するのは、寄生との戦いである。
「共生」
https://gyazo.com/867012c68c878fa1936dff3123225cf2
そして「昆虫はすごい」というこの本がすごい
昆虫の生態のおける、狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして戦争から奴隷制、共生を描いている
https://gyazo.com/93fbc0f81493a9bd1dc02f76e72312e0
丸山氏は、どうもアリの巣にとても興味があるらしい
本書で活写されるアリとその仲間たちの生き様は、なんともいえず味わい深く、学びも深い
外敵を寄せ付けないアリの巣は、生き物にとって理想の居住環境である。当然、部外者を入れないための情報システムと武力を保持しているアリのガードをかいくぐるのは至難の業であるが、ひとたびそこを突破したら、楽園が待っている。
そういうふうに進化した昆虫のことを「好蟻性昆虫」と呼ぶそうだ。
(以下、苦手な人は写真閲覧注意)
アリ好きな昆虫の生き方も色々
https://mushinavi.com/photo/jp-koorogi/f-ariduka01.jpg
アリの巣に生息するコオロギ。
アリは同種であっても、家族でなければ攻撃の対象になるほど外敵に対して敏感なのだが、本種はアリが識別する匂いと同じ匂いを付けることでアリの群れの中にいてもアリに攻撃されることがない。
本種はアリの巣の中で生活する為、翅は退化し、痕跡すらない。天敵に襲われる心配もなく、餌はアリが運んで来た餌を食べていればよいというなんとも羨ましい生き方をしている。イソップ童話の「アリとキリギリス」のキリギリスは働かないが本種はその上を行っている。
https://gyazo.com/d08217381ae268d871f5d552acc9bb4f
アリノスアブ。
アズマオオズアリの巣で暮らしていた全身にイボのような突起のあるアリノスアブ。この幼虫は、なんと、アリを食べる。
https://gyazo.com/7fbf0f57158dd384d7b115e96dae8293
アリノスヌカグモ。
国内ではアリを専門に捕食するクモは少なからず知られるものの、アリの巣内にまで入り込む種は少ない。クモはアリから一切存在を認知されていないため、明らかに化学的手段により自身の存在を偽っているとしか考えられない。
https://livedoor.blogimg.jp/antroom/imgs/e/d/edeb861c.jpg
クロシジミは、幼虫の時期にクロオオアリの巣の中で、アリから口移しでエサをもらって成長して、代わりにアリたちに蜜を与える
https://gyazo.com/c81f117ce18f2672c01d769921f07271
アリ型のハネカクシ。進化の過程でアリになりきりすぎて、甲虫とは思えないような姿になった。
https://gyazo.com/e1a6a2e05acdfd729bbc5a8532d14ef7
サムライアリ。アリがアリに寄生する例もある。
好蟻性昆虫の世界は、本当に面白い。種によってとる戦略の多様性が豊かである。
たとえば、アブラムシが蟻のために甘露を提供し、外敵から守ってもらう、といった話は昔から有名であるが、そうした相利共生は、「ミクロ・短期・主観」の視点で見ると、美しく見える。
「ミクロ・短期・主観」の視点で見たときに、理不尽ないし残酷に見えるのが片利共生や片害共生、寄生などである。利益を得る側の生き物からすると、より賢く進化しただけだぜ、ということなのだろうけれども、搾取される側からすると、たまったものではない。
アリとは違うが、ハリガネムシとカマキリの話は、壮絶ですらある。寄生した側は、寄生された側の行動を操り、最終的にはその個体に、自死を強いるのである。そして、こういうことをする生き物は昆虫の世界だけにいるわけではなく、かなり幅広い世界に類似の行動があると知られている。
https://gyazo.com/d4d55cfeb375aaa0eab74050336813f3
考えてみれば、感染症を引き起こすウィルスもまた、似たようなことをしているといえる。
では、こうした行動は絶対悪なのか。「マクロ・長期・客観」の視点に立つと、必ずしもそうとはいえないのかもしれない。ウィルスの話をすれば、生き物の進化に多大な影響を与えたことがよく知られている。短期的には有害でも、長期的には有益な関係性というものは、歴史的事実として、存在している。
かたや、各種の寄生生物にしたって、相手を滅ぼしてしまっては自分も生きていけないわけだし、人間にはわからない何かしらの理屈で、どこかで役に立っているのかもしれない。
(まぁ、なにをもって有害、有益とするか、という根本的問題はあるけれども。簡単に考えるなら、個体に対して痛みをもたらす、ということであろうか。しかしそれも疑わしい。痛みとは、死の部分集合であるわけだが、生き物は、自らの死によって他者を生かす。)
こういうことを考えると、お釈迦様の「すべての生き物に、生きる意味がある」という言葉が思い出される。
寄生といってしまうと、地球は太陽に寄生している。太陽の絶対的贈与のまえでは、誰も何も言えない。
太陽のことをいうなら、月もそうだ。月の作り出すリズムによって、地球上のあらゆる生き物は生を営んできた。あらゆる意味で、月は太陽と対照的な存在である。なにしろ、月は、ただ、そこにいるだけなのだ。絶対的贈与に対する、絶対的受容。
地球上のあらゆる生き物の主観の話に戻ると、生きるということにおいて、そもそも、寄生もヘチマもない。
ただ、生きるための環境が与えられ、生きるために生きているだけだ。そこに倫理としての善悪を問うても無意味である。
寄生の致命的に重要な働きとは、宿主に対して「宿主に概念を与え、己に有利な意思決定や行動を促す」ということである。それが短期的にどちら側にメリットをもたらすかによって、人間は善悪の価値づけを行う。しかし、あらゆる寄生は共生の部分集合である。
人間社会にも、多様な共生の形がある。官僚組織と民間、本部と現場、上司と部下、働かないおじさん、窓際族、サボリーマン等、あらゆる階層に、寄生かもしれない関係性は存在している。
それらもまた、短絡的な善悪では計り知れない。プロジェクト活動において、なにをかいわんや、である。 #純プロジェクト状況 においては、なにが幸いするか、未知である。なにが幸いであるかすらも、未知なのである。 成功・失敗、自利・利他は、それを測る物差しによって、変幻自在である。
いや、鈴木大拙博士なら、「測るな、測ろうとするな」と、いうことだろう。