ツールと文化
たとえば
ある時期、slackはDXの旗手である、といった受け止めがあった
いまどきチャットツールを使ってないと遅れてる、これを使えばDXだぜ、という、そんな期待感、論調があった
しかし、一定の普及が実現してみると、なんのことはない、結局は、人間の問題だし、組織文化の問題だと気付かされる
どういうことか
slackの良さは、チーム全体的な情報共有スピード感、双方向性、発信受信の気軽さにある
とても便利なツールである
しかも、最低限の機能は無料で使えるのだから、すごい話である
ありがとうございました
しかし、である
いかにツールが便利でも、それを使う人間心理や組織文化が変わるわけではない
たとえば、発信者が、己の責任において意見を表明するのをよしとせず、何かにつけて組織内で意見を調整し、全体としての総意を合議しなければ、意見表明できない組織があった場合
そのslackは、いかにも閑散としてしまい、本来の良さを発揮しない
あらゆるツールで、同じようねことが起きていて、そうしたことに直面するたびに、なんだかどうも、ウンザリする
便利なツールが生まれて、余計な作業を増やし、プラスマイナスゼロの状態にして、効率化できたと喜ぶような、そんな変なことが起きているのが、現代である
というわけで、上記は「新しいツール礼賛主義」の馬鹿者ぶりを批判しているわけだが
「従来ツールしがみつき主義」もまた、やはり、全然、いただけないなぁと感じる
オンラインか対面か、とか、チャットツールかメールか、みたいな話は、基本的には手段の話であって、局面にあわせて良いものを選べば良い
「絶対対面で」とか、「slackは使えない」とか、そういう話が前景化する企業に共通するのは、上位下達のプレッシャーによる、組織の硬直化の気配である
組織が硬直化しても、人間は軟弱である
いや、人間が軟弱だから、組織が硬直化する