コンサルってなんだろう
Yahooニュースのコメント欄には、世間の空気がじんわりにじむ。
以下の記事へのコメントには、コンサルへのイメージが、主に恨みつらみとともに表出している。
眺めていてざっと傾向をつかむとするならば、大体、以下のような感じだろうか
(肯定的)
短期的に現場の実務で成果を出したら「お金を出した甲斐があった」と評価される
新規事業の水先案内など、知らないことを教えてくれたときには「金を出した意味があった」
(否定的)
提言内容に意外性が強い場合は「わかってない」
意外性がない場合は「一般論、当たり前のことしか言わない」
提案が実現しなかったら「そらみたことか」
事業運営が悪化したら「コンサルのせい」
まぁ、コンサルにも色んな人がいるだろうから、どの恨みつらみも、根拠なしとはしないのだろうけれど。
ただ、むしろ気になったのは肯定的な意見で、成果が出たか出ないかの評価基準が「短期・具体的」にすぎる、という点が気になった。短期・具体のミッションというものは、通常は、従業員の仕事なのである。
本来、従業員の仕事であるべきところを、外出しして「よくやってくれた」というのは、どこから目線なのだろうか?
一方で、否定的な意見のなかで気になったのは「大金を払って損した」の言葉である。
何をもって、損なのか、得なのか。
経営における最大のテーマは、あえて極端な言い方をすれば、誰に金を出すか、である。
金を出す意図と結果が、一致するとは限らない。収支が合うとも限らない。
その取り組みに、未知なる新たな要素が大きい場合は、むしろ大抵の場合、出した以上のリターンは戻ってこないことがほとんどである。
それを「損した」ということで総括する経営者というのは、端的に言って三流以下であり、その損失によって事業を傾かせるようでは、そもそも経営者の資格なしと言わざるを得ない。
また、そういう経営者を選んだ従業員も、見る目がなかったと総括をせざるを得ない。
まぁ、だからといって駄目なコンサルを擁護する理由にもならないのだけれど…つまり、悪い状況というのは、常に「誰のせい」ではなく、「どっちもどっち」なのであり、局面というものは「みんなでよくする」か「みんなで悪くする」かの、どちらかなのだ。
経営者の最低限の資質とは、失敗から学びを得て、捲土重来を期する、ということである。
まぁ、ダメなコンサルにお金を出している時点でダメといえばダメな話だが、人間誰にも間違いはある。肝心なのは、そこからなにを学ぶかであるはずだ。
そういう意味では、件のYahooニュースのコメント欄に、経営センスが垣間見える内容は非常に乏しいと言わざるをえず、真に憂慮すべきは、国民の世論がそのような次元から脱することができないという、その一点につきる。
ちなみに「経営コンサルタントは自分の経営ができて当たり前だ」という話は、基本的には、難癖とでもいうべき言説である。自分のコンサルほど難しいことはない。他人事だからこそ、客観的に見れるし、客観的であればこそ、適切に助言ができるのである。
自分の会社の経営が得意なコンサルのほうが、むしろ胡散臭いとも言える。
それはさておき、しかし、コンサル、という呼び方も雑なものだなぁと思う。中小企業の経営コンサルと、大企業の戦略コンサルでは、まったくもってやることは異なる。ビジネスコンサルとITコンサルでも全然違うわけだし。
もっといえば、いわゆる事業会社の社員だって、その実務の実態は非常にコンサル的だったりもする。なぜなら、コンサルとは、究極的にいえば、概念化し、意思決定を助ける、ということだからだ。
そういう意味では、オフィスワークとはすなわちコンサルなんだ、と、言ってしまえなくもない。
そういうふうに捉え直すと、冒頭の「コンサルへの恨みつらみ」は、嫉妬、と言う言葉に収まってしまうのかもしれない。なんであいつらの方が余計に対価を得ているのか、という。
この問題は非常に取り扱いが困難なのである。「概念化し、意思決定を助ける」という働きが「相利共生」であれば八方丸く収まるわけだけれども、往々にして片利共生、片害共生、寄生的な関係性も見られる。
そしてそれは顧客とコンサルの間だけの問題ではなくて、本部と事業、上司と部下の間にだって、発生し得るのである。