ときどき思うこと2
独立する直前に勤めていた会社は、人材紹介、派遣会社むけのマッチング業務管理とCRM機能を一体化したようなSaaSを提供するベンチャー企業だった。特定の業界に特化し、その業務を一定水準まで理解し、業界内での信用もそれなりにあったから、日々の営業活動は安定していた。転職して入社した当時は、新製品のリリースが大コケの真っ最中で、さすがにちょっとまずい状況だったけど、立て直しの日々は、それなりに面白かったし、勉強になることも多かった。
最終的には体調を崩すまでにオーバーワークになってしまって、短期的な評価としてはバッドエンドを迎えてしまったが、まぁ、そこからの再出発と再生の日々まで考えれば、塞翁が馬というやつである。
そんなことを振り返りながら最近思うのは、業界特化という経営戦略について、である。当時はこれが、息苦しくて仕方なかった。業界を限定すると、たちどころに、成長の限界が明らかになる。成長すればするほど、いかにしてライバルとのオセロゲームをひっくり返しあうか、みたいなことが、経営的な主題となる。
画期的な新機能や新製品、はたまた海外進出で次の右肩上がりを目指そう、みたいな話も定期的に持ち上がるが、成長途中のベンチャー企業とは、資本、知識、技術、センス、色んなものが、足りない。なかなか、芽が出ない。そうしているうちに、経営者も、幹部社員も、歳をとっていく。若い社員は、入っては去っていく高速回転を続けていく。
当時よく語られていたのが、「もしgoogleが、この領域に攻めてきたら、ひとたまりもない」という危機感だった。しかし実際の所は、わざわざ攻め込むほどには魅力のある領域ではなかった。なので、10年経っても、20年経っても、攻め込まれずに安定営業を続けている。
あの当時の狭さが嫌で、独立した時、プロジェクト、をテーマにしたのだった。世界中、ありとあらゆる場所に、プロジェクトはある。なんて広大なマーケットか。
やってみると、確かにそうだった。プロジェクト進行支援を看板に掲げてみたら、どこにでも出入りできた。しかし人生面白いもので、話はそう単純なものではなかった。結局のところ、それぞれの業界にはそれぞれの業界にローカルなプロジェクトがあって、全てを語り得るプロジェクト理論というものは、各々の現場にいる人からしたら、そんなに魅力的なものではなかったのだ。普通の人間とは、理解できないものには、反応できない生き物なのである。
誰にだって通じる、一番大事な話をしてるのに、耳を傾ける人は僅かだった。
僅かとは言ったものの、自分が仕事をするには十分すぎるほどで、文句を言う筋合いなどはまったくない。頂けた機会に感謝し、緊張しながらも、いつもできる限りの仕事をする。結果を認めてもらい、次の道が開ける。そうした一つ一つは、とても嬉しいものである。だがしかし、いつもどこか、少しだけ、寂しいのである。
誰にだって通じる、一番大事な話と、短期的な利害を比べると、どうしたって優先度は劣ってしまうのだ。
もしかしたら、プロジェクト、という言葉を選んだことが、誤りだったのかもしれない。プロジェクト、という言葉には、ありとあらゆる色が、すでについてしまっているのだ。
自分が考えたいと思ったこと、語りたいと思っていることは、もしかしたら、プロジェクトという言葉では語りきれないのかもしれない。いや、どんな言葉を用いたところで、同じことなのかもしれない。そういうものを「工学」する、なんてことが、そもそも言語矛盾もはなはだしいのである。
このことを考えるとき、磁気単極子、という言葉を思いだす。磁気というものは、必ず双極であって、単極であるような物体は存在しない、ということを表す言葉である。簡単にいえば、N極だけの磁石はない、という話。
プロジェクト工学、という言葉も、磁気単極子という言葉と同じ次元に位置している。それがあると思って色んなことを始めて、それが無かったことにようやく気づいた今があって、ふと冷静になってみたら、随分とちゃんちゃら可笑しい話なのだだけどれも、それを一緒に笑ってくれる人を、まずは、増やしていきたいところなのだけれども、一体、なにをどうしたものやらと思っている。