「切る」ことを、俳句に学べ
この世とは、現世とは、そして人生とは、無限に生成される欲望によって、己自身をスポイルせざるを得ない、人間という名の業との戦い、無間地獄である
悪い事をしたら、来世で地獄に堕ちるのではない、人間は、すでに地獄を生きているのである
しかし、救いがないわけではない
切ることを、覚えたとき、人間は、人間以上の存在となり得る可能性を手にする
何を切るのか。
未練を断ち切るのである
あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたい、あれもほしい、これもほしい、もっともっとほしい
そういうものを、断固たる決意をもって、一刀両断しなければならない
消極的に、諦めるのではない
全身全霊の意欲によって、切るのである
しかもそれは、殺すために切るのではない
生かすために切るのである
その心を知るためには、1人の詩人の一生を追いかける必要がある
その人の名を、芭蕉という
例えば、制作年代もある程度踏まえながら、その膨大な作品から、以下のように選んでいくと、長い人生のなかの喜怒哀楽の振幅とともに、芭蕉自身も、わかったり、わからなくなったり、すでにわかっていたことをわかりなおしたり、やっぱりわからなくなったりしながら、その境地を深めていったことがわかる
旅人と我が名呼ばれん初しぐれ
狂句木枯の身は竹斎に似たるかな
古池や蛙飛び込む水の音
あらたふと青葉若葉の日の光
涼しさを我宿にしてねまる也
静けさや岩に滲み入る蝉の声
荒海や佐渡によこたふ天河
塚も動けわが泣く声は秋の風
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな
旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る
芭蕉の俳諧における最大の発明は、諧謔に余韻をもたらしたことだった
そもそも短詩形という表現に、意味を詰め込もうとするのは、原理的に言って無意味である
しかしというか、だからこそというか、短歌、和歌の伝統では、歌枕、掛け言葉、縁語など、ありとあらゆる技法を使って、意味を補うことをやってきた
もちろんそれは技巧的な言語芸術として、あるいは文化の生成基盤として一定の役割を果たしてきたのだが、三十一文字から十七文字という進化をきっかけとして、革命的な価値転換が引き起こされたのだ
技巧を凝らさない、ただただ素朴な、言葉
素朴であるにも関わらず、いま、ここ、目の前、この瞬間にしか組み合わさらない、唯一無二の言葉
歌仙という形式において、俳諧は連歌を継承した行事であった、つまり、亭主が客を迎えて共にその場を創造する、ワークショップだったのだ
俳句とは、俳諧における初句、すなわち発句を独立させた形式であるわけだけれども、もとを正せばそれは、客から亭主への挨拶の言葉だった
全国各地で、芭蕉のおとずれてくれたことを喜ぶ碑文が残されているのは、彼がまさしく、その土地のため、その地に住まう人のため、つまり、そこにしかない固有の風土のために、歌い続けたからだった
簡単な言葉なのに、ぐっとくる
簡単な言葉だからこそ、ぐっとくる
けしてお高くとまらない
たとえ、その内面にある創造プロセスには超絶的技巧が働いていたとしても、成果物にはその片鱗を残さない、見せない
文字の羅列には、意図しなくても文脈が生まれる。
いやむしろ、人間とは、本能的に、情報の羅列に文脈を読み取る生き物であるわけだが、積極的に、これを、切る
見事に切れて、取り合わされた瞬間、そこには「間」が生まれる
間とは、余白であり、余白とは、遊びであり、遊びとは、余韻である
余韻こそが、我々の短い一生に、永遠の存在をもたらしてくれる
以上の論理は、東洋における哲学そのものであり、これを最も素直に言語芸術に転化したのが芭蕉であり、正岡子規以降の俳人は、その法灯を絶やすまいと、受け継ぎ、継承し続けてきた
(その過程に堕落が含まれることも含めて、仏教に似ているわけだけれども)
プロジェクト者は、俳句の精神を知らねばならない
なぜならば、プロジェクトもまた有限性を宿命とする、価値創造の営為であるからだ
もちろんそれは、仕様書を短くしろ、ということではない(当たり前だ)
切るという、その精神を忘れるな、ということである
不安を恐れるな、思い切っていけ
やるならとことん、やり切れ
未練は断ち切れ
少ない資源を、最大限に活かせ
いまここ目の前、この瞬間に、集中せよ
自己表現に溺れるな
相手を喜ばせろ
逆境を、面白がれ
笑え
全身全霊で、困難を、笑え
いま、この世において、いかんせん、人の世は、形式や、型、フレームワーク、メソドロジーといったものが溢れていて、あらゆる場面において、人は、再現性という名の誘惑に、溺れてしまう危険と背中合わせである
形式なくして文明は成立しないので、もちろんそれは宿命であるわけだから、そこを否定しては何も始まらないのだけれども、さりとて、その惰性に、そのマンネリに、敗北しては、生きる甲斐がないのである
創造的であるために、大切なことはなにか。
それを考えるにあたって、東洋哲学の叡智は、そして俳諧の精神は、とてつもなく豊穣なものを、もたらしてくれている