運を引き寄せる成功の極意(桜井章一)
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ある日、本屋で目が合ってしまい、なんとなく目を合わせたい雰囲気ではなかったので、最初、通り過ぎたが、一巡して再会し、手に取ったのが運の尽き、羽生さんがインタビュアー(!)ということで、これは買わざるを得ないかなと思って購入したら、引き込まれて、一気に読んでしまった。
◾️まず言いたいこと
・本のタイトルとメインビジュアル、キャッチコピーが、中身を全然語っていない
・わざとそうしているのだろうか
・羽生さんの推奨コメントのみが、中身とちゃんと照応していた
・麻雀はルールが覚えられないし、独特な雰囲気にずっと苦手意識があったのだけれど、やったら面白いんだろうなぁとも思った(やらないとは思うけど)
◾️感想として
・考え方が、ものすごくしっくりときた
・とにかく、自然体、等身大、綺麗なもの、鮮やかなもの、場との調和を大切にする、ということを大切にしていて、汚いもの、強欲的なもの、暴力的なものが好きではない、ということ
・勝ち負けと、勝ち負けの先にあるもの、というテーマ設定
・自分がわかったことを、いかに努力して言語化しても、伝わらないということへの諦念
・それはそれとして、言語化や教化をあきらめるわけでもなく…というバランス感覚
◾️この人は自分とは真逆だなと思ったところ
・危険がとにかく大好きだ、ということ
◾️純粋に疑問に思ったこと
・賭け麻雀って、違法ではなかったのかしら
・税務処理ってどうしているのだろう
◾️穿った見方をする
桜井氏の名前はもちろん知っていたが、著書を読んだことはなかった。数々の不思議で強烈なエピソードが、本当にあったことなのか、それともこれは、「キャラクター」なのか?(「叶姉妹」、的な…)
色々な状況から推察すると、前者なのだろうと思うのだが、不思議でならない🤔
◾️将棋と麻雀
・将棋には運の要素はまったく介入せず、麻雀は運の要素が強く介入する、と、一般的には、言われる
・しかし、棋士と雀士は仲がいいし、両方やるし、両方強い人も多い
・本書をきっかけにして、運とはなにか、実力とはなにか、を考えていくのも面白い
・将棋の一局は、確かに、本人たちの意思決定のみで構成される
・しかし、そこには観客という他者の存在が介在している
・振り駒にも、運の要素がある
・そもそもを言えば、将棋を指す才能や、それを伸ばす環境に恵まれたか、というのも、まさしく運の賜物
・将棋に運の要素がまったくない、という見方は、スコープを極限しているから言える
・逆に、確かに麻雀には運の要素も大きいが、自力というものがゼロであるわけがない
◾️AI・藤井聡太以前と以後
本書は2012年ごろの本の新書版とのこと。
いま、あらためて出すことは意義深いことなのだろうと思うと同時に、いま、ふたりが再び語らったら…という想像もしてみたい。
明らかにこの10年で、本書の基調としてある、人間が自然から分離してしまったことへの原罪感、因果論や人工物が抱える矛盾が、より一層深まっているわけなのだけれども、その文脈のなかで、この思想は、なお一層輝くはず、なのだと思うのだけれども。
◾️あらためて、己の来し方を思う
自分が褒められたくて仕事をする、というのは、常に悪手で、いかにフラットに、自然体で、等身大であるか、計画や策に溺れず、フラットに、柔軟に、即興的にある、ということが、大事なんだ、ということを、この数年で思うようになったのだけれども、本書を読んで、間違っていなかったような気がする。
■行く末を思う
・桜井氏は、思いを大切にせよというが、重くしてはならない、とも言う
・つかむのではない、触れるのだ、と
・身体を柔らかくたもち、かつ、軸を持つ
・やわらかさと軸があるから、大きな力が出る
・振り返ってみると、自分は、どうも、重くなりがちである