第278回例会「偽の命題はどうして意味をもつのか」
#例会
伊藤さんによるウィトゲンシュタイン=アンスコム中心の発表となります。
例会日程の詳細
【1月4日(日)西新宿】哲学道場例会「偽の命題はどうして意味をもつのか」【第278回】 - TwiPla
https://twipla.jp/events/699809
発表資料(Ito2026, PDF)
Ito2026_HowCanFalseSentencesMakeSense_PhilosophyDojo278.pdf
討論補助資料(ふかくさ作成, PDF)
HandoutForIto2026.pdf
ふかくさ「前期ウィトゲンシュタインの『論考』においては、志向が特定の事態を持ち、それが事実と対応しないとき、それは思考が偽の事態を主張しているということになる。このとき、偽の事態はそれに対応する外的事実(指示対象)を持たないが、それでは偽の事態はどのような意味を持つと言えるのか? 『論考』においてはそれは思考が持つ可能性ということになり、それは究極的には記号の並べ替え可能性と、個別の名としての記号が依然として対象と対応関係にあることに由来する。したがって、偽の命題であっても指示対象を持つ名の組み合わせである限りで意味を持つとされる。一方、後期ウィトゲンシュタインの『探求』においては、意味の源泉としての対応説は放棄され、代わりに意味の使用説が意味の源泉とされる。意味の有無が体系的使用によって決められるとなると、むしろどんな奇妙な使用もあり得るのでだから、『論考』と違って「何が無意味な命題」なのかを同定することが困難となり、両者は一長一短、もしくは両極端な学説となっている」
Syun'iti Honda.icon 「私たちが〈思考〉において「事態はこうだ」と意味するとき、「事実の手前で止まっている」のではなく「まさにそうである」と意味しているかのように見えるのに、実際には「事実でないことを考える」ことができてしまう。このウィトゲンシュタインの『哲学探究』§95 におけるパラドックスを端緒に、「偽の命題がどうして意味をもつのか」を探求する内容でした。発表では『論理哲学論考』の理論に依拠しつつ、偽命題であっても名が対象を指示する限り「世界とつながって」おり、偽命題は「欠落(不成立)」として可能世界を部分的に規定する、という方向でその有意味性の説明が試みられていたと思います。全体としては、『探究』のパラドックスに直接応答するというより、『論考』における偽命題の意義をさらに内在的に考察する内容だったように感じました。」
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