第268回例会「虚無のルサンチマンは真理に最も近いのか」
開催日:2025年6月7日
発表概要: 私の哲学用語である「虚無のルサンチマン」についての発表です。人が真理を語ることによって、初めて真理を近づける面と、寧ろ真理を誤魔化してしまう面の双方に関わるジレンマの話をします。またその際に、真理を誤魔化さない態度を突き詰めたらどうなるかを「虚無のルサンチマン」という用語で考察します。
コメント
ふかくさ「発表概要をみたとき、個人が他者に内面を伝達 communication するために言語化によって喪失されるものと、無力な個人が一人では獲得できなかった協力や公共性 publicity へのアクセスを獲得する対比(どちらを〝真理〟〝価値〟として重要視するかは論争的にせよ)とがテーマなのかなと仮説立てていた。/しかし、蓋を開けてみると、他人の主張をポジショントーク(例えば「偽善」)として告発する側も言語を使う以上はポジショントークにならざるを得ないというような話で、前提としては、言語化して伝達する限りは不可避的に公共性(=共通の伝達インフラ)を獲得してしまうという話だと受け取った。そこでは、ポジショントークの外にある真理もしくは価値は隠蔽されざるを得ないか、到達不可能なものとされるか、はたまた個別の言語的やり取りによって生成されるものと仮定されているのだが、このような仮定の検討を深めるだけでも十分に意義があったのに、個別のフィクションのエピソードトークに無用に時間を割きすぎてしまって肝心要の自己主張やその検討が他者の立場からできなかったのは残念であった」
Syun'iti Honda.icon 「価値を否定しつつ、価値否定という態度だけに怨嗟的に取り憑かれる自己矛盾的ジレンマを〈虚無のルサンチマン〉として、このジレンマと「真理との近さ」を検証する、という内容でした。愛や価値に対する説明はつねに後づけで可変であり、価値体系(説明)は常に更新と破壊を繰り返す。ならばいっそ、人為的な価値や理由を最初から認めず破壊だけに徹する態度こそ「真理に近い」のでは?という問題提起から、それを体現した存在として、漫画『鉄コン筋クリート』のイタチを紹介しつつ、他作品の登場人物の態度との比較を踏まえ、〈虚無のルサンチマン〉の「真理への近さ」と脆さを分析・剔抉していく内容だったと理解しています。発表の元となった原稿の長さもあり、発表者と参加者の応答は発表の構成や、主張に対しての作品の援用の関係性の適切さに関するものが主だったものとなっており、メインの議論が消化不良となってしまった感は否めませんが、発表雰囲気そのものは侃侃諤諤だったと感じました。」
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※なお、発表者の原稿をNoteBookLMに音声要約させてみたところ(7分程度)、マンガ『鉄コン筋クリート』で主人公のクロ(殺戮を反復する)に対して内面から殺戮に正当化をする存在としての「イタチ」という人格の特徴づけを論じた内容になってしまいました。
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