第263回「行為選択とは何か」
開催日:2025年3月1日
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コメント
ふかくさ「行為の選択の話というよりも、そもそも個人が意図的な行為によって何かを達成するとはどういうことかが中心の討論となった。発表者のホンダさんは行為の達成とは物理的な詳細を必要とするものであり、概念的に想定されるか、記号によって指定されたに過ぎない詳細が未規定の行為達成は認められないとするそうだが、そのような強い前提を置くとしたら我々の人生、我々の経験世界においておよそ『行為』は不可能になってしまうというのが率直な反論である。なぜならば、我々は行為の物理的な詳細を想定し切ることは認知的に不可能だからである。また、仮に物理的な詳細を行為主体が認知することが必要でないとしても、〝選択〟という話になると、物理的な詳細を持つ複数の可能世界(=選択肢)からどれを実現するかが行為であるということになると思うが、どうも行為を投射する対象となる世界の範囲でバカでかくなり過ぎるようである(しかしふかくさ自身は敢えて行為というならば、このような行為=実存的決断こそ行為だと言いたい)」
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発表では私たちが日常的にやっている「行為選択」という操作が実際には抽象的で概念的な構成要素(行為タイプ)の選定に過ぎず、現実における状況や時間などの細部が伴うもの(行為トークン)の選択ではない、という主張がなされていた。しかし、そもそも発表者の言うように行為トークンが現実化を前提するものである以上は行為トークンを想像できないのはまったく当たり前であり、そうでなくとも、現実化されたものという身分を取り去った具体的な状況の記述でさえ、それらを並列に複数想定して選択するという操作は行為選択という表現から想像されるものにとっても一般的なものではないため、最初から何を批判しているのかわからない発表であった。
とはいえ、今回の筆者による立論の方向性から見ても、この発表はあからさまにビッグなリサーチクエスチョンを直接問題にしているというよりは、探究の基礎になるような前提を構築しているように感じたため、次回以降の発表では今度こそそれについて直接問題にしていただけることを期待している。
参加者
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イトウ
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マンマのさんま.icon
Syun'iti Honda.icon
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はしもと
saytayおじたん