第262回「理想の自分として生き続けるための自殺は成立するのか」
#例会
開催日:2025年2月1日
発表者:マンマのさんま
告知ページ:【2月1日(土)西新宿】哲学道場例会「理想の自分として生き続けるための自●は成立するのか」【第262回】
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コメント
Syun'iti Honda.icon 自分と瓜二つの人物に理想の自分を託し、自らはその命を絶つ様を描いた漫画『ウツボラ』で描かれる、自殺によって成立する自己実現の可能性について、田辺元の「懺悔の哲学」の観点から論じるという内容でした。田辺哲学では、自分自身による自己理解は不徹底と見なされ、その自己理解が崩壊して外部世界を経由して自分が何者であるかを捉えることを「死と復活」としており、それを『ウツボラ』の主人公の有り様と対応させつつも、田辺の言う「死」は自らの意思で選択して実行できるものではないため、作中の主人公の意図的な自殺による自己実現は田辺哲学の観点からは成立しないという主張だったと理解しています。
ふかくさ.icon ふかくさ「田辺哲学では自力の存在が解体されているから、ウツボラで示されたような〝自殺〟を伴う自己実現も実は存在しないのだという結論と受け取った。しかし、ウツボラのエピソードは自分が二人いて理想的な方の一人を残すために片方が死を選ぶ一方、その理想形成には究極的には社会的なまなざしが介在しているのであるから、作者の意図をそこで組むなら投身して誰かが死ぬシーンがあったからとてそれがいわゆる自殺に〝追い込まれ〟たという状況だと解釈すべきであって、ウツボラの解釈としても解釈の深さが不揃いである。〝追い込まれ〟の観点からみるなら、二人の自分がどのように協力しようと、片方が自己犠牲しようとしまいと、自力を解体するという田辺哲学との関係性は薄弱である」
谷口一平.icon 谷口一平「ツイキャス配信は充電不足で途中で途切れてしまいましたが、田辺の〝死復活〟によりスマホは復活を果たし、Xのスペースで後半をお届けすることができました。『ウツボラ』を田辺哲学で解釈するよりは、田辺哲学の例として『ウツボラ』を出したほうがよかったと思う。そして「特攻隊」など、いくらでもわかりやすく田辺哲学と接続しうる例もあるのだから、『ウツボラ』でやることの意味についてもっと緻密に考えられていたほうが(批評として)よかった。さんまさんお得意の聖書解釈とも結びつけてほしかった」
Urasaki: 私もふかくささん同様『ウツボラ』を田邊哲学に結び付けて論じるのはかなり無理くり感があるように感じました。『ウツボラ』本作は未読なのですがアマゾンのレビューなどを読む限りでは、田邊の「死と復活」とは別ジャンルの話なのでは無いかと思います。個別で論じればそれはそれで興味深い話題ではあると思いますが、田邊哲学と強引に関連づけようとしたが故に作品のポイントも外れた議論になったのでは無いかと危惧致します。また『ウツボラ』とは別に田邊の「死と復活」については、興味深いテーマですので引き続いての発表を期待致します。田邊は明らかに「特攻による死」を意識して書いたのではないでしょうか?
関連リンク
未完了域 第1号 特集:ホラーのある生活
ウツボラ 1
ウツボラ 2
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