第259回「『回路』が死から語らせた本来語られない筈の絶望について」
#例会
開催日:2024年12月7日
発表者:マンマのさんま
告知ページ:【12月7日(土)西新宿】哲学道場例会「『回路』が死から語らせた本来語られない筈の絶望について」【第259回】
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コメント
Syun'iti Honda.icon 死への恐怖は一般的には存在の消滅に対する恐怖であると想定したうえで、実はその恐怖は死の本質的な孤立性に由来するものであるということを、映画『回路』における表現を手がかりに探求するという内容でした。劇中での孤独な死者の描写から見出される、他者との接触だけでなく自己に対する理解や到達も不可能になり、一度きりの絶対的で不可逆的な経験であるという死の本質的かつ構造的な孤立性こそが、死の恐怖に関わるという主張だったと理解しています。さらに、生死を連続的に捉える1人の主人公の立場を、本来語られないはずの死の孤立が生に伴う孤立をも暴露し、否応なく自覚させていると解釈し、対照的に生死を断続的に捉えるもう一人の主人公との立場との循環性・相互依存性に注目しつつ、その相容れなさによって引き裂かれるという「絶望」をもたらすとしていました。参加者からは、この発表で主張された死(の孤立)の本質的・構造的特徴が死に固有のものであるのか、といった疑問が提起されていました。
参考情報
回路 - YouTube
関連リンク
発表資料:映画『回路』が死から語らせた本来語られない筈の絶望について
告知ページ:【12月7日(土)西新宿】哲学道場例会「『回路』が死から語らせた本来語られない筈の絶望について」【第259回】
参加者(敬称略)
200.icon
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イトウ
ウォンバット
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na
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