これが現象学だ (講談社現代新書)
『これが現象学だ』(谷徹):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部 https://cv.bkmkn.kodansha.co.jp/9784061496354/9784061496354_w.jpg#.png
現代哲学の大きな潮流をなす現象学とはそもそも何なのか。空虚になった学問の危機を克服し、人間の直接経験から出発して世界に至る思想の全貌を解説! あなたと私が現象学だ――現象学の具体的な内容に踏み込む前に、フッサールが好んだ言葉を2つ引いておきたい。ひとつは「自分自身で考える人」(Selbstdenker)という言葉であり、この言葉で、フッサールは自分が尊敬する哲学者を称賛した。もうひとつは「ともに哲学する」(synphilosophein)という言葉であり、この言葉で、フッサールは自分が仲間だと思う人々に呼びかけた。「自分自身で……」と「ともに……」という2つの言葉は、一見すると、互いに矛盾するように思われるかもしれない。ところが、そうではない。 ……彼は1916年にフライブルク大学に移り、そこで若きハイデガーと出会った。しばらくしてフッサールはハイデガーの哲学的・現象学的な素質の大きさに気づく。彼は真に「ともに哲学する」パートナーを見つけたと信じた。彼はハイデガーに言った。「あなたと私が現象学だ」――本書より
まず誠実な本で学べたことが素直にうれしかった
哲学史をざっくり概説するような入門書だと、現象学は説明がふわっふわなことで(私には)知られていた
なので長らく私にとってミステリアスな哲学だった
著者曰く「知的カルシウム不足にならない程度に「骨太」に書かれている」とおり、本当に哲学書読みなれない人にとっては難しめな程度にはしっかりしていたと思う
現象学の万物の基礎学足らんとする問題意識と、志向的体験への還元というコアコンセプトは説得力がある
ざっくり説明すると、人間は主観に閉じ込められて生きているはずなのに、なにかしらの働きでそれを超越し、客観性のある概念を作る。その典型例が数学や科学なのだが、多くの人はその超越について意識していない。この主観と主観を出ようとするプロセスは全ての学問の土台なので、ここで何が起きているか分析・説明しなければならない。これが現象学である。 幾つか共感できない下りのメモ
さすがに語りえなさすぎる
勿論哲学は仮説的なモデルを思弁的に顕してきたが、静態的現象学の納得度の高さ、地に足付き具合の高さが前提にあるからこそ余計蛇足感が否めなかった 他者の現象学の自己移入の自己移入の下り共感できない
自己移入の根拠が原キネステーゼの次元における「後に身体として構成されるもの」の癒合性から説明される
自己移入はざっくり他者がもし自分だったら...という視点で想像し理解すること
実際には真逆で、多くの経験によるエミュレートが自己移入の本質だと思う
「把持と自己移入の並行関係」が指摘されているが、「把持(による高次の機能)こそが自己移入だ」というだけでは?