教師力
IT時代の教師力について
自分に欠けている教師力について
人から学ぶこと(主体的、対話的な深い学びにおける「対話」の部分)
話が分かりにくい、
ただ長い
(対策)縮約の練習
英語の映画の日本語字幕は少し原文よりも少ない言葉で説明しようとしているので、そこを参考にする。
石原千秋の
縮約
注意という認知資源は有限である。ヒトが一度に意識を配ることのできる対象の数は思う以上に少ない。
小学校でやる興味を持っていることをクラスの人に発表するみたいな
面白い論文、ゲーム、アニメ、本などを1分~15分(各自設定)という制限のなかで話する勉強会みたいなのやってもいいかもしれない。面白さがどれくらい伝わるかで評価。
正直、先生が自分の感じた面白さを伝えられるだけで、教育の「育てる」という方向はクリアできる気もするんだよな。「教える」という技術が十分でなくとも、生徒を動機付けできるなら、長期的にはサイクルが回っていくかもだし。
現場の教員が、生徒の興味のあるコンテンツに詳しくないという問題も、教員がインフラ勉強会でよくやる「俺に教えろ会」を生徒有志とやって、生徒から魅力を伝えてもらって、こういうこと?って聞き返す(先生、そうじゃないんだよ~って言われるかも)だけで、親密さは深まる気もする。
先生が生徒のことに目を向けるというのは表面的なテクニックの話(名前を覚えるとか)にいきがちだけど、たとえば僕は、その程度のことじゃデレないし、自分の考えていることを、持続的にフォローしてくれるとか、そういうレベルで、時間を負担してくれるか、もしくは自分が思いつかない発想、知らない知見を教えてくれる場合。
興味のないお笑いの話を振られてもうれしくないし、
自分の知識を修正する仕組み
よく知ってる人からフィードバックが受けられるように
メディアを活用する
ツイキャス
小出しで発表できる媒体を使い分ける
サポートの継続
サービスの提供としての教師ではなく、プライベートとしての時間における「教師」としての負担をどこまで行うべきか。
一種の残業
学ぶことが趣味
生活の一部に学びたいことに関連する書籍を気軽に取り寄せることのできる環境に変えていく(場合によっては)
読書教育で、図書館は気軽に行ける空間にという話があったがマジでそうだわ。
知的分業と得意技
複製技術と労力の削減
教員は、学校のスケジュールに縛られるので、可変的な働きかたは難しい。
学校教育という制約を外せば、講義を録画、録音して後で学びたい人に講義を届けることができる。
そのためのインフラを整備する(Dropboxなどの課金、)
スライドを作るだけでなく、いっそ本番に話す予定の部分も全部事前にscrapboxに投げておいて、発表前の段階からフィードバックが期待できるような学び方をするのもあり。
小出しで学んだことを発表できるようなメディア(Twitterやツイキャス、Scrapbox)、まとまりのある内容を発表するメディア(ブログ、オンライン勉強会)、講義の際により理解してもらうためのメディア(画面共有mixerやスライド,LMS)、独学支援のメディア(本、e-learning)などとアウトプットの形を工夫する。
アウトプットを他者に向けて発表することにメリットのある場合とデメリットがある場合がある。またメディア特性に無知なためにアウトプットしにくいということもありうる(数学ならLatexが書けなくても、紙で書いたやつを写真にとってアップロードすればいい)。
アウトプットは自分の理解を確かめるため、また他人の理解促進、楽するため。また時間が経過した際の自分もまた「他人」であるため
協力した方が価値を創造できる場合ってなんだろう?
それって価値なの?本当に価値のあることなら、書き起こして何度も読み返したい?ネットにアップしたら多くの人が読んでくれる?
世の中のアクティブラーニングは、このあたりの欺瞞がある実践も多いと思われる。
レベルを揃えて、各人が各々だけではクリアできないような課題に挑戦してクリアすることこそ、実があるといえるし、それを教員が体験していないのに、
ポートフォーリオを書いて、自分ができることを他者に対して示していくこと。自分に当たり前のことでも他の人にはできないかもしれない。比較優位で、その分野に関してエキスパートになって、協調して、問題解決にあたる必要があるだろうし、また知識が属人化しないように他の人に教えるような仕組みを作る必要がある。 市場価値を高めること
特定の議論に関して人格を切り離して、ただそれに対する思索に関して、ありとあらゆるものを整理していくという過程のなかで、特徴的な議論ができる人というのは本当に少なくて、
知識が修正されやすいように学ぶとか、ただ教えるのではなく長期的にフォローしていけるように教授するとか。
杉山史哲 @symphonicity
8月9日
教員の資質能力の向上は、日々の実践以外では「読書」「省察」「対話」。読書によってインプットしたものを自身の実践と照らし合わせつつ省察を進め、同じ本を読んだ人たちと対話することで学びを相対化する。…この方法いいな、と思ってくれた先生方が校内研修で取り入れてくれたりしたら本望。 まつど.icon
私は教員にならずプログラマーになるので、生涯学習の観点で私に欠けている「教師力」について書きます。私に欠けている「教師力」は大きく2つあります。具体的にはフットワークよく学ぶこととファシリテーターとして教えることの2つです。
従来型の学習では試験などの計画が立てやすく成果が明確な学習以外の読書体験や学習体験に関して、アウトプットするのが難しく、せいぜいブックガイドを書いたり学習メモや感想などを読書メーターに書いたりする程度でした。せっかく学んだことなのに、正確な知識を得るまでは記事としてまとめないなどといった縛りをかけて学習していたのですが、理解が不十分なときこそ、より理解している人に対して教えを請えるようなフットワークよく学ぶ姿勢が自分には欠けていたと考えています。 従来型の学校教育で行われていた知識伝授型の全部を一人の人間が体系的に教えるという形から、ポイントポイントを押さえて学習デザインはするけれども、学習者がより自分のニーズに合わせて学習できるようにメタ的に環境を捉えてもらうような、学習者の自発性を尊重するような教え方ができるようになる必要があるように感じています。 具体的に、そのような教師力を実現するための具体的な方策として
① に関してはオンライン勉強会で「俺に教えて会」というものがあり、自分が考えてきたことを教えながら、その補完を知ってる人にしてもらうというもので、こういった勉強会を定期的に行うと事前に決めてしまえば、小出しで他者を意識した客観的なアウトプットが可能になりますし、自分一人ではクリアできなかった課題でも示唆的な意見がいただけるかもしれない。より多くの人に利益のある課題の場合は、ジグソー法のようにエキスパートごとに課題を分割して取り組めば、より意味のある学習が可能です。これは新指導要領で強調されている主体的で対話的で深い学習というものの実践でもあると考えています。 ② に関しては、知識を教えるだけでなく、学ぶ姿勢を教える仕組みを活用していくことが大切だと考えています。ファシリテーターとして教えるためには、自分自身が特定の指導者やメディアに依存しないような学習を目指す必要があります。依存先を増やしていくことで意見の多様性が担保できるし、知識基盤社会において劣化しやすい知識に対する定期的なブラッシュアップも期待できます。学校教育においては実現しにくいですが、オンライン勉強会では、テキストによるコミュニケーションに限らず、ボイスチャットや画面共有、録音(Podcast)、録画、ツイキャス、SNS(Twitter,読書メーター)などを用途に応じて学習したことを発信するようにすることで、短い講義の間で全部を言う必要がなくなるし、分かりにくい部分でも後で参考文献や別のメディアを通じてフォローしていくことができる。この様々なフォローの際に、こういう知識に通じてる人は誰だとかこういう本がいいとか、そういう別の繋がりを案内できるようになることがファシリテーターには必要ではないかと思う。こういう様々なメディア活用ができない人は、伝えたいことを何でも口頭で説明しようとして、結局聞く側の頭に残らない話をしてしまうことになる。聞く側の理解や成長を第一に考えて長期的なサポートができるような教師力という言葉に対応する用語が分からなかったので、「ファシリテーター」という言葉で代用したけれども、オンライン勉強会では参加者各人の能力を引き出すような工夫や促しをする必要があって、たとえば「再演」というタイプの勉強会では、講師が一度講演した手順を自力でやってみるというものがある。真似をしやすいように手順を録画などしておくとハードルは一層下がるだろうし、学習者に「教える」ことで学ぶという姿勢を身につけさせるという意味でも有効な方法だ。