政治空間、経済空間、親密圏、公共圏 、社会的空間などの空間概念の変容について中国・朝鮮・日本の三国に注目して整理する。
まつど.iconICT教育について考えるなら、もっと長期的な観点で、空間概念がどのように変わっていくかを考察することが重要だと考える。知識への関心あり方も人々の紐帯のあり方も歴史によってさまざまである。昔書いたレポートから転記してその手がかりとする。
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高校の日本史と世界史の教科書も引っ張り出してこよう。歴史解釈以前のレベルで、事実認識に明らかに誤謬がある。三国の近世近代~現代史を概観しての制度比較をしている場合じゃない。せめて寛政異学の禁の歴史的意義くらいは教科書ベースで語れるようになって。
寛政異学の禁の背景としては初代から召し抱えの御用学者林家の朱子学を採用しており、政治への明確な取入れは三代目家光以降の新井白石とかの採用かしら、とりあえず前々から朱子学は幕府の思想として採用されてたわけだ。それが、八代目将軍の徳川吉宗の実学重視の考えから、蘭書の翻訳をサツマイモ農家に押し付けたりと、朱子学のみ採用という方針が揺らぎだしていた。それを修正するのが寛政異学の禁という政策の目的である。朱子学だけでの内容で科挙を日本で執り行ったりするなど、朱子学重視の政策は多くあったが、陽明学者佐藤一斉を学問所で採用したり、奥医師に外科の蘭方医が採用されていたり、暦の制定に西洋の天文学をばりばり使ったりで寛政異学の禁の方針は一貫しているわけではない。そもそも松平定信私人としては贔屓の絵描きにエッチングやらしたりしてるし、完全排除とは言い切れません。外的・客観的合目的性を満たしているかはさらなる検討が必要になりますが、使えるものは使うという発想のほうが近かったという論が馴染みます。
つーか各論どころではなくて、総論としての疑問点が山盛り。まず三国の比較というテーマはどこに消えたの? 「中国化と江戸化」の間にあるサンプルとして朝鮮地域を提示しているなら、非常に注意しないと地域的にも歴史的にもセレクションバイアスがかかると思うんだけど、そのへんはどうなの? そもそも質的にせよ量的にせよ、分析計画においてどれだけの方法を検討したの? 創造の方法学を読んでこれなの? まつど.iconコメントありがとうございます。再度、検討し直します。確か、点数悪かったやつなので、いつかは検討し直そうと思っていましたが、機会がありませんでした。
三国の比較ができていないのは、そのとおりです。
一年生向けのレポート課題だったので、検討し直して、再度書きたいと思います。
レポート課題の成果物としてインターネットに公開する代物でこの引用記法ですか。貴学の諸先生方はこれが公正な慣行に合致しているとしたのでしょうか? 敬虔なる遵法精神の持ち主として、著作権法第32条に関する後学のために是非教えていただきたい。