時間がかかる
時間がかかる
こういう取り組みは時間がかかる、と言われることがあります。
単元の最初に持ち時間を示しておく。これ以上の時間はかけることができない、と。
さらに「問答無用にやらせる宿題」を徹底的にへらす。
やらないでおこうと思えば何もやらなくて済む環境は、やろうと思えばいくらでもやれる環境です。
これもまた世界の仕組みそのものです。学ぼうと思えばいくらでも学べますが、そうしない限り何も学べません。
このとき、ただ単純に「あなた次第だよ」と任すだけでは放任です。任すからには任せられるだけの手段を手渡して置かなければなりません。
つまり。「やろう」と思ったとき何をどうやれば効率的効果的に学習をすすめることができるのかという学び方についての知識です。
これがもうワズもがなですが「けテぶれ」です。けテぶれという学び方についての知識を教え、それを毎日毎授業で使い、その使い方についてフィードバックしてきたからこそ、授業時間も、宿題も「任せる」事ができるのです。
これを僕は学びのコントローラーを渡すと表現しています。
マリオをプレイするのに、コントローラーも渡さず「君に任せた」と言われたところで何をどうしていいかわかりませんよね。これについては、もう少し詳しく述べることがあるのでp00でのべます。
宿題でほんとうの意味での「自学」ができる環境と手段が整っていれば宿題と授業の棲み分けができてくる場合もあります。
一人で家で考えられることは、宿題で。みんなでやるべきことは学校で。こうなってくると、時間のかかりかたはまた変わってきます。
更にいうと、単元配当時間どおりに授業を進めていったら学期末に時間が余る。
ここで2回目のテストができるということにすれば、日々のけテぶれの目標にできる。
単元配当時間内に全員が理解することが前提になってるって不自然にもほどがある。スパイラルが大切というのなら、1学期の中でもスパイラル構造を作るべき。ざっくり学んでどんどん先に行き、また戻ってくるデザイン。