すぐに教えてあげる教えてもらうの関係になることの危険性
すぐに教えてあげる教えてもらうの関係になることの危険性
すぐにこの関係性を作ると、結局教えてもらう側は「口を開けて答えを待つ学習者」にしかなりません。
答えを与えるのが、教師から友達に変わっただけです。
この変化は結構大切ですが、この関係性だけでは頼りない。
おすすめは、「わからないもの同士でかかわる」または、「説明がかけたもの同士で確認し合う」です。
わからない者同士で相談する
テストで間違えた、分析してもいまいちよくわからない。そういうこともあると思います。
このときまず相談するのは、「もうすでにわかってしまった子」ではなく、「同じように悩んでいる子」にしたほうが楽しいです。
脳トレクイズなんかを解いているときを思い出してください。わからない問題に対して一緒に頭をひねる時間って楽しいですよね。
でもそこに、「もうすでに答えがわかってしまった人」がいたら、え・・・じゃあもう教えてよ…となりますよね。
当然そういう人から有効なヒントをもらいつつ考えるというのも面白いですが、それは、わからない者同士で徹底的に悩んでからでも遅くないです。
むしろそういう「自分の頭で考え悩む時間」が多ければ多いほど、ヒントを貰えたときのひらめきは深くなりますし、自分からこのポイントだけはヒントがほしい、など、焦点化した質問もできるようになります。
脳トレクイズで考えましたが、勉強も全く同じです。まず自分で考える、その後、一緒に悩む、そのあとやっとわかっている友達に質問する。というプロセスを取ることが大切だと思います。それが
説明がかけた者同士で見合う
危険性はまだあります。
単に問題に答えを出すことができるレベルの子が「教えてあげる」という選択をすると、表面的なアドバイスに終止してしまうことがあります。
だれかに教えてあげる前には、自分の説明が本当に正しいのか、もっとわかりやすく本質的な説明はないか、そうやって「説明」の質を確かめ、磨こうとする努力が必要なはずです。
そこでで子どもたちには「できる→説明できる→教えられる」という理解の段階を示し、「説明できる」がクリアしているかどうかを確実に友達と確かめあってから、「教えてあげる」に行きましょう。という。
逆に言うと、そんな努力をせずに、ただ問題が解けるだけで、教えてあげるという選択をしないでください、ということだ。
いや、むしろ「教えてあげる」という行為すら「説明できる」の質を磨くための一つの手段にしてほしいとすら思う。
なぜなら「説明」できているかどうか、は実際に説明を必要としている人にとってその説明が有益だったかどうかでしか判断でいないのだから。