けテぶれタイム自体の拡大
子どもたちの自力学習の時間を徐々に増やしていく
ここまで選択肢を広げるには、20分程度の演習時間では厳しくなってくる。
単元の中での持ち時間をこうする。
徐々に教師がしゃべる時間を少なくしていく。
1年スパンで見ると、単元導入時の教師のレクチャーもどんどんエッセンシャルにしていく。
別に授業の始めに教師が喋らないとということもない。
見通しが立ってきたら、チャイムと同時にけテぶれタイムに突入し、後半でみんなで考える問いを発してもいいし
基本的にけテぶれタイムで進行し、子どもたちが迷っていたり、勘違いが生まれたりした時点で一斉授業に切り替えるのもあり。段階的に単元ない自由進度に切り替えていこう。
教室は先生が授業をする場所ではない
僕が子どもたちの前に立って、全員に向かって指導する時間は、45分の授業の中で平均10分程度。です。数秒ということもあります。僕が子どもたちの前に立って、全員に向かって指導する時間は、45分の授業の中で平均10分程度。です。数秒ということもあります。黒板に書く文字も、1週間で数十文字程でしょうか。教師の仕事は「授業をすること」でも「黒板に文字を書くこと」でもないんです。教師の仕事は「人格の完成に向けて子供を伸ばすこと」この一点のはずです。そこで教師がすべき思考は「子どもたちが最も伸びる学習環境とは」という思考であり、その答えは「教師が一方的に喋り、黒板を書き、子どもたちは一方的に聞き、写す」では無いはずですよね。(もちろん、一斉指導を完全に否定しているわけではありません。子どもたちが伸びていくにあたって一斉に指導が必要な場面では、全員を席に座らせて先生の話をきかせる、という方法を選択することも当然あります。ここでの主張はそれが“目的”になってはいけないということです。目的はあくまでも“人格の完成に向けて子供を伸ばすこと”です
教室は子どもたちが学習する場所である
「子どもたちが最も伸びる学習環境とは」この問いに対する僕の答えは「子どもたちの学習時間を最大化する」ということでした。人が何かを学ぶ時は常に「自分で考え、自分でやってみること」を繰り返していますよね。簡単に言えば「トライアンドエラー」です。これの数だけ実力が高まる、ということは感覚的にわかりやすいと思います。模範解答的な知識はそのサイクルを回すのに必要な分さえあればいい。大切なのは、その知識がしっかりと自分の中に定着しているかを自分で確かめることであり、確かめた結果を受けて不足している知識を見出し、そこに着目して次のステップを自分で選択すること。このサイクルを教室でも最大限保証してやることが、子どもたちを伸ばすためには必要なのではないかと考えたわけです。
例えばカヌー体験に行って、インストラクターのひとがその乗り方について説明してくれるとき、始めは興味を持って聞きますが、その説明があまりにも長いと「いいから乗らせてよ!」となりますよね。それと全く同じことです。基本的な知識を得た後は、とにかくやってみることで「理解」していくのが、人として自然な学習の流れだと思ったのです。
更に、そのトライアンドエラーの中身を「計画テスト分析練習」と定義し、それらをキーワード化することで、考えて動くというトライアンドエラーの質そのものをあげようとするのがけテぶれです「計画(自分で考える)・テスト(自分でやってみる)・分析(自分で考える)・練習(自分でやってみる)」このあたりがもう繰り返しになりますのでこれくらいにします。
全面的に自由な空間で、自分で自分を管理する
では「自分で考え、自分でやってみるけテぶれサイクル」を最大限に保障するために必要なものはなにか。それが“自由”です。一から十まで先生の指示と意図通りに振る舞わなければならないような過度に管理された空間では自分で考えることも自分でやってみることもできませんよね。子どもたちの自己選択を許容する“自由”な学習空間が必要不可欠なのです。しかもここで言う自由とは今までの教育の中でよく言われているような“自由”ではありません。今までの教育界で「自由時間」や「自由行動」といった言葉に使われる“自由”という意味合いは「基本的に教師が管理する環境の中で、部分的に手渡す自由」という意味合いが強いですよね。そんな部分的な自由は、先生の「管理」の枠組みの中に包摂されており、子どもたちは心から自由だと思って行動できません。そこには暗黙の禁止事項と、暗黙の正解があり、子どもたちはまだまだそこに縛られているのです。そうではない自由。極論、算数の時間に国語をやってもいい。勉強をやらなくてもいい。すべての選択が許容される空間。そこまでの全面的な自由の中に放り込まれることで始めて、子どもたちは誰にも管理されない本当の自分に出会い、「自分で自分を管理する必要性」を感じるのです。そしてその必要性を感じたとき、子どもたちは自分で自分を前にすすめる方法「けテぶれ」を知っている。この状況を作ることで、子どもたちは一歩一歩自分の力で全面的に自由な学びの海を自分の力で進み始めます。子どもたちの本当の学びはここからはじまるのだと思います。
家庭学習方面への拡大
授業の最後に、宿題でのけテぶれの計画を書く時間を設けると、「けテぶれタイム」は家庭学習時間に向かって拡大することができる。これはこれであり。