「勉強法」についての本を教室においておく
[勉強法」についての本を教室においておく
「唯一絶対の勉強方法」が未だに定義されていないのは “領域特化”だけでは絶対解が定義できないからだ。そこには確実に「個人差」という変数が影響する。そしてその変数が大きいからこそ「唯一絶対に正しい勉強法」や「これをやればすべての人がうまくいく作文の方法」が確立されていないのである。
世の中には勉強法についての本がたくさん出ている。
コロナの影響を受けてより一層増えた。
「基本的な勉強法」であるけテぶれがあれば、そのような種々雑多な勉強法についての本の中から自分の気に入った情報だけを抜き出し、自分のけテぶれに取り入れていくという事ができるようになる。
逆に「けテぶれ」のようなベースとなる知識がなければ、世の中に在る勉強法についてのアイディアにおぼれてしまい、結局どれをと入れてよいのかもわからずに、どの情報も受け取ることができなくなってしまう。
けテぶれがあればそれらの情報を解釈できるだけでなく、日々自分がけテぶれを回しながら、学習過程での困り感や得手不得手、好き嫌いを発見していっているということ。
そういう支店を持って本を眺めると、情報をキャッチして、自分の学習に位置づけることができるようになる。
だから、けテぶれに取り組む教室では、勉強法の本をおいておく価値がある。